![]() | <89> | 2002年2月8日掲載 |
体操部は昭和十三年、陸上競技部内に「器械体操倶楽部」として誕生した。原川智一(昭14卒)佐々木原正夫(同)らが立ち上げ、翌年には部として独立する。十七年に東部大会で初優勝するなど着々と実力をつけていくが、戦争で中断。二十一年に活動を再開した。 二十四年に講堂兼体育館の香陵会館が建ち、体操部は勢いを増す。杉山文一(昭26卒)は「狭いグラウンドは過密状態。隅の方でマットや鉄棒を使った。屋内に移り、がぜん練習に力が入った」と振り返る。香陵祭では特別公演としてマット運動や組み体操を披露する花形的存在に。東高生はもちろん、沼商など他校の生徒の関心もひいた。三十二年の静岡国体には長沢靖夫(昭33卒)らが出場。長沢は個人総合三位の好成績を残し、卒業後はユニバーシアード日本代表として世界大会にも出場した。 「骨折などの危険が伴う」「指導者が不足している」などの理由から中学生の体操離れが指摘される。体操部OBで沼津市体操協会長の藤田正雄(昭28卒)は副会長加藤寿男(昭33卒)らと共に底辺拡大に力を注ぐが、藤田は「ジュニア教室で体操を覚えても、受け皿となる中学の部活動が廃れ、高校への橋渡しがうまくいかない」と頭を抱える。 部員減少に悩み、十五年ほど前から部員は沼津市立高の体操部と共に練習を行う状態になり、ついに休部へ。指導にあたった教員・吉田るみ子は「人数が少なくても、後進の指導に当たるような若い人材も育っている」と東高生を見守ってきた。OB会長の杉山は「恐怖をはねのけて技に挑戦し、うまく出来た時の喜びは体操ならではのもの。文武両道の伝統が何とかつながらないか」と復活を願う。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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