![]() | <93> | 2002年2月16日掲載 |
大正十二年の第一回県下中等連合水上大会では鈴木鐸(大13卒、故人)が平泳ぎで優勝するなど、沼中は早くも頭角を表した。十四年には静浦游泳協会が設立され、沼津でも近代泳法が急速に普及する。沼商と並び沼中に精鋭が集まった。 昭和七年に待望のプールが校内に建設される。部員らは練習に一層力を入れ、黄金期の幕開けとなった。十三年には県東部大会で一杉彰(昭14卒、旧姓土屋)らが二百メートルリレーで日本中学新記録をたたき出した。十五年の東日本中学水泳大会では川口義和(昭19卒)が自由形四百・八百メートルで優勝、杉山祐二(昭18卒)が平泳ぎ二百メートルで優勝、川口清(昭20卒、故人)が背泳ぎで準優勝など活躍し、初の総合優勝を飾った。 “沼中旋風”は戦前最後の大会となった十八年の県大会まで続く。川口義和は「全国大会優勝を目指してみんな頑張った。夏合宿では日が落ちた後、プールサイドに提灯をぶら下げて練習した」と振り返る。 プールは戦火を免れ、部活動は二十一年に再開した。物心両面で水泳部を支援した鈴木素介(大9卒、故人)、佐藤潔(昭5卒、故人)をはじめ水泳部OB、現役で作る後援会「香泳会」が発足した。黄金時代を築いた川口義和、川口清、安藤陽夫(昭20卒)、竹中孝(同卒)ら大学生コーチも精力的に部員を指導した。榊原伝一(昭25卒、旧姓遠藤)、那波広巳(昭26卒)らは「授業が終わると先輩たちがプールで待っていた」と竹ぼうき片手の“猛特訓”を思い出す。浦辺秀夫(故人)、小林寛(故人)の両教員も支えた。 戦後も緑色に濁ったプールから全国レベルの部員を輩出する。二十一年のインターミドルで伊海連作(昭22修)は二百メートル平泳ぎで優勝した。立教大監督を務めた山田芳美(同修、故人)、ヘルシンキ五輪選手の長沢二郎らもこのころの部員だ。 岡宮移転後、新プールが完成したのが四十四年。六十一年のインターハイでは塩島憲司(昭62卒)が百メートル自由形で四位に入った。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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