![]() | <94> | 2002年2月17日掲載 |
同展は創部したての美術部にとって初の試みだった。全校生徒から作品を募るが、秀作には程遠く、佐藤や副部長・遠藤裕次(昭23卒)ら部員の作品が中心となった。 油彩画を描きたくても、物資不足で絵の具が手に入らない。パステルクレヨンを紙にこすり付けて色を重ね、重厚感を表現するなど創意工夫を凝らした。佐藤は「画用紙は同級生の谷不二雄(昭22卒、故人)が、自宅に取り置いた原寸大の画用紙を抱えきれないほど譲ってくれた」と懐かしむ。 佐藤らは、戦時中から創部を学校に掛け合ってきたが、配軍将校が「ぜい弱、ぜいたくな部などけしからん」と首を縦に振らなかった。終戦後の秋、さっそく創部への準備に取り掛かり、二十一年四月には部員約二十人が集まった。教員の志賀福太郎(昭4卒、旦山)をはじめ、後に「青雲の像」を製作した山口益(大5卒、故人)、前田千寸(故人)ら美術教師が活動を支えた。 部員はそれぞれの絵画製作と共に、校舎の内壁の補修や複製画の飾り付けなど美化活動にも取り組んだ。香陵祭では、ポスターや入退場門の製作など裏方をこなす一方で、メーン行事の仮装行列では優勝の常連として五メートルを超える「アブシンベル神殿」や「リヤ王」などの名作張りぼてを生みだした。 活動は校外にも及び、スケッチ旅行や都内の美術館めぐりも企画した。清流会など校外の作品展にも奮って参加する。二十二年には志賀、山口らの提案もあって沼中、沼商、沼工、沼津高女などが参加した第一回駿東沼津地区中学合同展を開催し、他校との交流を深めた。遠藤は「大手町にあった沼津商工会議所の二階を会場に借りた。大勢の人が見に来てくれた」と盛況ぶりを振り返る。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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