<97>2002年2月24日掲載

第7部 鍛える

棋道部

道場通いで棋力を磨く
全国優勝を果たした岡村さん(右から3人目)と将棋同好会メンバーら=昭和45年ごろ
 昭和四十五年、第六回全国高校将棋選手権大会の個人戦決勝。後手の岡村正文(昭46卒)は苦戦を強いられていた。序盤、優勢だった岡村だが「ゆるい手を指してしまい逆転された」。判断が揺らぎながらも、相手の隙(すき)を見逃さない“攻め”の将棋を貫き、九十二手で全国優勝に輝いた。

 この年から全国大会の予選を兼ねた県大会が開かれるようになった。県大会では団体、個人戦とも東部勢が圧倒的な強さを見せつけ、東高の将棋同好会は団体戦で三位、個人戦で岡村が優勝を決めた。県代表として岡村は全国大会に進み、ベスト16から出場した。「当時の自分は初段程度の実力。全国優勝への気負いはなかった」と思い起こす。

 小学生のころから将棋に親しんできた岡村は、軟式テニス部に所属する一方で、将棋同好会に籍を置いた。岡村の“将棋熱”は日増しに高まる。同好会内にとどまらず、沼津市内の将棋道場に通い詰めるようになる。道場の席主や愛好家を相手に対局を重ね、めきめきと腕を上げた。「駒落ちでも簡単に負けていたのに、一年ほど通ううちに平手で勝てるようになった。新しい手筋を覚えて試せることが楽しくて仕方なかった」とのめり込んだ。

 岡村は現在、日本将棋連盟沼津支部副支部長の萩原三男(昭43卒)らとともに後進の指導にも力を注ぐ。

 将棋同好会は四十年の発足。前年には自治会で同好会制度が認められ、囲碁同好会をはじめ書道や禅、手芸同好会などが次々と承認されている。顧問・柳原義光は「赴任して間もないころに生徒から顧問を頼まれた。十人程度が放課後の空き教室で将棋を指していたのが始まりでは」と記憶をたどる。

 囲碁同好会と将棋同好会が結びつき、棋道部は昭和五十二年に十五番目の文化部として発足した。平成元年には全国高校囲碁選手権大会の個人戦で木下暢暁(平3卒)が全国の頂点に立った。卒業後、木下は京大に進み、十一年のアマチュア囲碁十傑戦でも優勝している。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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