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 第1章 沼農魂の礎 

大温室

感動を伝える花き栽培
fujinomiya
温かくて良い香りが漂う大温室での実習は、生徒も楽しみだった=昭和16年度卒業記念アルバムから
 大温室に足を踏み入れるとむっとした熱気が体を包み込む。大竹武士(昭21卒)は広大な室内にほのかに漂う品の良い香りと、赤や黄色などに咲き誇る花々の美しさに、「すべてを忘れて立ちすくんだ」と懐かしむ。外は爆撃音や悲鳴がひっきりなしにこだまする戦争のまっただ中。凄(せい)惨な現実と隔絶した別世界でもあった。

 全面ガラス張りの大温室は昭和九年に完成した。当時の校友会誌によると温室の全体像は、長さ三十六メートル、幅九メートル、高さ四・五メートルの総鉄骨造り。新聞にも「中等校程度ではまず日本一」と、その規模をたたえる見出しが躍った。

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昭和9年に完成し、周囲が目を見張った大温室
 温度調節した室内には、当時は目新しいシクラメンやラン、サイネリアなどの鉢物が所狭しと並び、さながら南国の装い。内部を仕切ってメロンなども栽培され、生徒の心をくすぐった。

 温室実習が楽しみだった杉田孝雄(昭16卒)は「多種多様で、指でつかめないほど小さな種を丁寧に植え、成長に合わせて小まめに鉢替えした。苦労して世話し、芽が出た時の感動は大きかった」と振り返る。「温室の“番人”は花き栽培の名手森口知夫先生。『育て始めが肝心』と手入れ法にはことさら厳しかった」。

 花の名前が試験に出されることもあり、生徒たちは教師の口から次々に飛び出すデンドロビウムやブーゲンビレアなど耳慣れない横文字を必死の思いで覚えた。

 冬季は室内に張り巡らせた直径五、六センチのパイプの中を、石炭式のボイラーで温まった暖流が駆け抜ける。放射熱で厳寒の中でもじっとりと汗ばむ温室は“楽園”だ。実習時間が巡ってくると生徒はこれ幸い、と暖をとった。逆に、植物の命とりになりかねない酷暑期には、大きな作業が待っている。渡辺博(昭20卒)は「遮光用に、水で溶いた石灰をガラス一枚一枚の内側からはけで塗り、暑さを緩和した」と説明する。

 温室は松ケ尾に移転した後も、ほぼ同じ規模で建設された。農業クラブなどの活動の場として愛されたが、普通科に切り替わる過程で取り壊されていった。

 大竹は退職後、自宅の庭に約十三平方メートルほどのミニ温室を作った。動機は「あの平和な空間が懐かしくて」。机やラジオを置き、温室で過ごす時間が多くなった。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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