<3>

 第1章 沼農魂の礎 

演習林

心と体鍛えた下草刈り
 演習林の集団実習は酷暑の中、植林や下刈りなどの森林管理の基礎を学び、農業に必要な強い肉体と精神力を養った。真野義夫(昭7卒)は「炎熱の中で労働の苦しさを嫌というほど味わった。自ずと耐久力がつき、大きな財産になった」と成果をかみしめる。生徒は極限状態で額に玉の汗を光らせ、大自然の中で木々と向き合った。

fujinomiya
雑草がうっそうと生い茂る足高の演習林で、下草刈りに励む生徒たち=昭和16年8月
 実習は明治期から保有してきた沼津市足高と、昭和十四年に愛鷹山組合(当時)から借り受けた浮島地区の主に二カ所の演習林で行い、年中行事として定着した。

 作業着に地下足袋の生徒は、かまとくわを手に苗木を背負って現地を目指す。演習林にたどり着くと眼前には多種多様な植物や蔓(つる)が繁茂し、真野は「途方もない作業に閉口した」と回顧する。

 実習は下草刈りが中心。一列に並んでふもとからスタートし、腰に力を入れて思い切りかまを振る。セミのジージーと鳴き続ける声が背に響き、時にはマムシやクマバチも容赦なく顔を出す。休憩時間には木陰にしゃがみこんで水筒の水でのどを潤す。持参したにぎり飯のおいしさが救いだった。

 手ごわかったのは浮島の演習林。約十五ヘクタールもの広さがあり、急傾斜と格闘しながら黙々と下草を刈った。関野義春(昭21卒)は「地元の公民館に泊まり込み、夕暮れまでの作業が三、四日は続いた」と思い起こす。カマの切れ味が悪くなれば砥石で刃を小まめに研ぐ。「勢い余ってカマでぱっくり足を切ったことがある。血がどくどく出たが教師に言えず、歯をくいしばってズキンとする痛さをこらえた」と関野。夜になってもうずいた足の痛みは今でも鮮烈に覚えている。

 演習林は農学校から普通校への移行を機に、その役割を終える。浮島の演習林は手放し、足高の土地は愛鷹運動公園の建設のため昭和四十八年に市有地と等価で交換、現在は「財団法人愛鷹山組合記念沼農会」の土地として、約二・六ヘクタールをゴルフ場の一部に貸し付けている。その収益は学校の施設整備の助成や奨学金などに活用され、生き続けている。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


静岡新聞へ