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作業着に地下足袋の生徒は、かまとくわを手に苗木を背負って現地を目指す。演習林にたどり着くと眼前には多種多様な植物や蔓(つる)が繁茂し、真野は「途方もない作業に閉口した」と回顧する。 実習は下草刈りが中心。一列に並んでふもとからスタートし、腰に力を入れて思い切りかまを振る。セミのジージーと鳴き続ける声が背に響き、時にはマムシやクマバチも容赦なく顔を出す。休憩時間には木陰にしゃがみこんで水筒の水でのどを潤す。持参したにぎり飯のおいしさが救いだった。 手ごわかったのは浮島の演習林。約十五ヘクタールもの広さがあり、急傾斜と格闘しながら黙々と下草を刈った。関野義春(昭21卒)は「地元の公民館に泊まり込み、夕暮れまでの作業が三、四日は続いた」と思い起こす。カマの切れ味が悪くなれば砥石で刃を小まめに研ぐ。「勢い余ってカマでぱっくり足を切ったことがある。血がどくどく出たが教師に言えず、歯をくいしばってズキンとする痛さをこらえた」と関野。夜になってもうずいた足の痛みは今でも鮮烈に覚えている。 演習林は農学校から普通校への移行を機に、その役割を終える。浮島の演習林は手放し、足高の土地は愛鷹運動公園の建設のため昭和四十八年に市有地と等価で交換、現在は「財団法人愛鷹山組合記念沼農会」の土地として、約二・六ヘクタールをゴルフ場の一部に貸し付けている。その収益は学校の施設整備の助成や奨学金などに活用され、生き続けている。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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