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 第1章 沼農魂の礎 

販売実習

顔が見える農業を実践
 農学校の伝統で、住民にも喜ばれたのが販売実習。生徒が農場や温室で丹精した野菜や花を売って歩く。栽培した作物が市場に受け入れられるか、販路をどこに見いだすか―。生徒は始業のベルと同時に徒歩や自転車、リヤカーを引いて市内を行き来し、一年を通して販売活動に励んだ。

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収穫した野菜の手入れに余念がない生徒たち=昭和32年度卒業アルバムから
 「売り切らねば帰れない」のが原則。様子をうかがいながら民家や商店街などを一軒一軒巡り、自分の足で得意先を探す。苦戦した生徒が沼津市内の親類や知り合いを頼る中で、つてがなくて疲労困ぱいした菅沼儀郎(昭12卒)は「まごまごしているとキュウリやトマトなどの野菜の色が鈍化して、ますます慌てた」と苦笑する。

 鮮度第一の野菜の商品価値を保つため、野菜を入れた目かごにわらを敷いて保護したり、手ぬぐいでまめに磨いてツヤを出すなど、見てくれにも十分に気を配った。

 実習は農学校時代は低学年を中心に、高校では農業、園芸両科の授業の一環で行われた。市場の相場に合わせて教師が基本価格を設定。売上は、昭和三年に就任した校長森岡光信が取り入れた「農業実習特別会計制度」が定着し、学校の施設整備費の一部に還元された。

 戦時中を過ごした加藤栄一(昭23卒)は「市価より格安の野菜は売れ行き上々だった」と話す。「今では『新鮮ですよ』の気の利いた一言も出るが、当時は駆け引きができなかったから」と素直な学生時代を振り返る。売れ残りを持ち帰るのは格好が悪いから、中にはなけなしの小遣いをはたいて交換した生徒もいて、「野菜は千本浜に捨てた」「花の鉢は砕いて三ツ目ガードの溝にお蔵入り」などの裏話は尽きない。

 「花がよく売れる」と評判の病院には生徒が殺到し、競争率も高かった。

 実習を積み重ねて、生徒も販売のマナーや要領を覚えていく。団地がタケノコのように建ち始めた昭和三十年代に、同級生二、三人の実習班を組んで住宅を回った杉本武満(昭37卒)は「花類は栽培のノウハウを交えて勧めると関心を示してくれた」と生き生きと語り、「市民と接することが市場のニーズを探る良いきっかけになった」と手応えを実感する。栽培の楽しさから販売する喜びへ発展させた。

 農作物を即売する学校祭「興農祭」でも販売を体験する機会があったが、「足で稼ぐ販売実習は苦手だった」と顔をしかめるOBは少なくない。しかし、ぼくとつで口下手でも消費者の信頼を得なければ売れない状況下で、生徒は“生産者の顔が見える”農業の大切さを学び、そこで得た気概を現在各方面で生かしている。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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