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 第1章 沼農魂の礎 

オート三輪車

校庭の片隅で運転磨く
 今ではほとんど見掛けない前輪一本のオート三輪車。戦後の昭和二十年代に急速に広まり、四輪より小回りが利くことで機動力を発揮した。農業経営の機械化に伴って農村に普及し、沼農でも昭和二十八年ごろから免許証取得の課外講習が始まった。

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愛きょうある外観で生徒に親しまれたオート三輪=「昭和32年卒業アルバム」から
 意気込んで手を挙げた斉藤直(昭29卒)は「自動車に興味がある者が集まった。当時は車がほとんどない時代で画期的だった」と胸を張る。当初あったオート三輪は、むき出しの運転席に空色の車体、棒ハンドルで積載量約五百キロの初期形式。「米国には一軒に三台はあるらしい」。まことしやかに流れた興味深いうわさに、生徒は目を丸くした。

 農業機械に明るい教師の指導で、運動部の活動の合間を縫い、グラウンドの片隅に白線を引いて練習を重ねた。エンジンのかけ方や発進方法、車庫入れなどの基礎技術が中心だが、「希望の生徒が十人ほどいて、一日に五―八分しか運転できなかった」と斉藤。鈴木是勝(昭29卒)も「よくバッテリーが上がり性能は決して良くなかった。故障した個所を確認しながら構造を体で覚えた」と懐かしむ。実地試験は静岡市の試験場で行われた。

 二十年代の路上は乗用車がほどんど走行しておらず、「免許証は紙切れ同然」と揶揄(やゆ)されることも。生徒はめげずに練習に励んだ。

 一般農家にも驚く早さで浸透し始めたのが昭和三十年代。卒業の一年後に自宅で三輪を購入した高橋弘道(昭29卒)は「家と畑の往復に早速役立った。農道には荷馬車のわだちが多く、はまると大変だから緊張した」と怖い思いもした。

 屋根付きや丸ハンドル、エンジンの改良が加わり、オート三輪は全盛期へ移行していく。

 農業以外の用途を記憶に残す生徒もいる。二十年代前半の東部地区中等学校駅伝大会。「他校が自転車を使って伴走応援する中、当時オート三輪での応援は沼農だけだった」と遠藤昭芳(昭26卒)は思い起こす。過去の優勝旗をくくりつけた華々しい応援スタイルで他校を圧倒した。

 選手も経験した遠藤は「荷台に乗り込んだ生徒の迫力ある声援を受け、大変勇気付けられた」。土ぼこり舞う厳寒の路上を、オート三輪と共に駆け抜けた青春が鮮やかによみがえる。

 沼農魂は、生徒が農業実習に従事する中で養った「不撓(とう)不屈」の精神。今もOBの間で熱く語り継がれる。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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