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「おらが学校を変えたい」という強いエネルギーが生徒を突き起こし、上級生を中心に総決起大会を開くなど、学校関係者に要望を突き付けた。在校生を集めて熱弁を振るったのは、上原栄や大滝孝三(昭2卒、故人)ら。昇格、移管して文部省から中学卒の認可を得ることは、軍の幹部候補生志願や、公務員の昇任試験受験の資格取得につながるため生徒は一歩も譲らなかった。 生徒の行動は次第に張り詰め、真剣さを帯びていく。授業を放棄して校舎を抜け出し千本松原に集結、同盟休校に突入したこともあった。焦った教師陣が駆け付けて説得に努めたが、逆に生徒も学校管理者へあてた要求書を決議するなど、運動はエスカレート。生徒の思いは爆発する。 大正十三年には甲種昇格をまず実現、続いて十五年には三枚橋から敷地を金岡村岡宮大豆島(現沼津市立五中付近)へ移転する。昭和二年に念願の県立移管と生徒たちの要望が次々と実現する。 上原は「甲種に昇格して県立に移したいという希望は関係町村は勿論卒業生も在校生も持っていたし、地域の要望であった」。富士山を背景に広大な田園の真ん中にたたずむ大豆島の新校舎を目にして、「うれしくて涙が止めどもなく流れた」と七十周年記念の「松ヶ尾」に運動にかけた熱い思いをつづっている。 国内全体で、民衆が自治の実現と改革に取り組んだ「大正デモクラシー」。生徒もまた改革の精神をおのずと身に着けていたのかもしれない。激動の昭和は、新校舎で幕開けする。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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