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 第3章 農業に生きる 

茶(2)

良質茶栽培へ試行錯誤
 毎年五月初め、伊藤京次(昭37卒)=沼津市西椎路=の茶畑で、地元愛鷹中の生徒が茶摘み体験に歓声を上げる。約十年前、PTA会長を務めた伊藤の提案で始まった。

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県東部初の「エコファーマー」に認定された深沢さん
 「地場産業を理解し、沼津茶の良さを肌で感じてほしい」。長年に渡って良質茶作りに挑んできた伊藤の切なる願いだ。かつて地味がない愛鷹山ろくの茶は「がさっ茶」と呼ばれ、低評価に悩まされた。いち早く危機感を感じた伊藤は質より量にこだわる父親のやり方によく反発を示した。「改善していきたい強い思いがあったから」と振り返る。父親の死後、昭和五十四年に工場を新設。川根地方のベテラン茶農家を訪問したり、試行錯誤で有機堆肥や土壌改良を進めるなど経験と失敗の積み重ねで勘を養った。

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良質茶作り一筋に取り組んだ伊藤さん
当時、若手生産者でつくる「東部良質茶研究会」での地域ぐるみの研究が功を奏し、伊藤は関東地区品評会で農水大臣賞(昭59)、県品評会で同賞(昭60)を立て続けに受賞。「努力すれば高品質の茶ができる」ことを実践で示してきた。

 昨年百二十キロ一ラインの入れ替えを完了し、自園自製農家として約五百五十アールの茶畑で栽培から販売までを手掛ける。口コミで広がった全国のファンも多く「学生時代に販売実習で学んだコツが役立っている」。愛鷹地区の消防方面隊長としても活躍する伊藤は、茶シーズンで忙しい時でも長男と二人三脚で地域を守る。

 環境に配慮し、化学肥料や農薬の低減などに取り組む農家の認定制度「エコファーマー」。県東部認定第一号の深沢義久(昭45卒)=沼津市井出=は十五年間に渡り減農薬栽培を追求してきた。深沢を駆り立てたのは、飛び込みで関東にセールスをかけた時、主婦からぴしゃりと言われた一言。「今の農産物は農薬漬けだから」

 悔しさをばねに翌日から減農薬を模索する日々が始まった。農薬の散布回数や倍率を徐々に低くし、害虫の発生時期を徹底的に調べて、手を真っ黒にしながらしらみつぶしにしたこともあった。「最初は荒れて見るも無残な光景だった」と明かす。「でも農薬にできるだけ頼らずに済むことを証明したい」。「エコ」の認定を後押しに、研究に研さんを積む毎日だ。

 茶栽培への竹炭効果を実証するため、東海大学開発工学部と地元の茶農家と合同で結成した「浮島ファーマーズクラブ」は五年目。約千六百平方メートルの実験ほ場長は深沢が務め、十年を一期とするち密な調査に熱い視線が注がれている。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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