<26>

 第3章 農業に生きる 

バラ・ラン

家族経営でニーズに挑戦
 高度成長期を目前に、建物の装いに洋風感覚が取り入れられるようになった。「これからは洋間に合う上品なバラが受ける」と栽培を始めた後藤勇(昭19卒)=沼津市東沢田=。昭和四十年ごろ、米麦専門農家から転向して「後藤バラ園」を開いた。

fujinomiya
親子でラン栽培に取り組む栗村昌弘さん、康彦さん
 ノウハウが無く「最初は栽培の難しさに泣かされた」と後藤。苦労は続いたが、戦争という厳しい時代の中で養った忍耐力でふんばった。良質のバラ生産を目指して力を注ぎ、出た答えは「バラは手間ひまをかけただけ見返りがある。だから面白い」。

 昭和五十年代に長泉町に栽培温室を集約して規模を拡大。小まめに出荷先のメーン、東京へ通ってニーズを探り、安定出荷を実現して市場の信頼を得た。後藤は「日本の土壌で育てたバラは水もちが抜群。色付きも良い」と輸入バラの脅威には動じない。長年の経験に裏付けられた自信で約三千七百平方メートルの温室を足しげく見回り、経営を譲った息子と孫を陰で支える。

 高級感を備え、贈答用に好まれるコチョウラン。若手生産者の栗林康彦(昭63卒)=沼津市大岡=は、父の昌弘(昭37卒)と二人三脚で「栗林園芸」を経営する。後継者問題を抱える農家が多い中で、父の農業にかける情熱を受け継ぎ、ラン栽培に精力を傾ける。

 高校卒業後、茨城県の農業専門学校で学んだ康彦は「農業の先進国を自分の目で見たい」と米国へ飛んだ。二年間の武者修行。シアトル近郊で広大な農地を運営する園芸農家に滞在し、「生産から出荷まで、企業的要素の強い米国式農業を目の当たりにしてきた」。収量の多さや店頭での乱雑な陳列など、スケールの大きさに度肝を抜かれる一方で、消費者心理を重んじる日本ならではの美徳感にも気付いた。

 「男らしくなり、自信がついたようだ」と帰国した息子を迎えた昌弘は同時にランの株数を拡大、家族経営の基盤を整えた。現在は約千六百平方メートルの温室で約三百―四百種を栽培し、昨年は年間一万鉢を出荷した。

 「最近は生産技術の向上が目覚ましく、花の輪数が多いほど商品価値が高い」といい、市場のニーズに合わせて挑戦が続く。「夢は交配種の研究を重ねて、他の農家にないオリジナルを生み出すこと」。ランの芳香漂う温室の中で、二人の声が高らかに響いた。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


静岡新聞へ