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 第3章 農業に生きる 

造 園

人と緑の調和を追求
 東京農大を卒業して三島市役所に勤め始めた矢ノ下光義(昭28卒)=清水町柿田=は、明治時代からの古い歴史を持つ東海の名園「楽寿園」に技術員としてかかわった。約六ヘクタールもの広大な敷地を持つ園内は言わずと知れた自然の宝庫。樹木管理などの園内整備に追われ、十一年間を忙しく過ごした。

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「造園は夢のある仕事ですよ」と話す矢ノ下さん=清水町
 「今ではすっかり渇水してしまい寂しいが、園内をとうとうと流れていた湧水や緑の美しさは自分の原風景に通じる」と矢ノ下。市職員時代はほかにも街路樹や公園造りなどに奔走し、「人々の暮らしと密接なつながりを持つ造園の仕事は、植物の知識や土木技術だけではできない」と思い知らされた。大学で学んだ哲学や心理学も応用させ、多彩な角度から庭造りの在り方を模索し続けてきた。

 「時代と共に人々の好みも変わりつつある。住宅のリフォームならぬ“リガーデン”の時代が来るのでは」と話す矢ノ下は退職した平成七年に家業の「東静造園」を継ぎ、今は後進の指導に力を注ぐ毎日だ。自ら立ち上げにかかわった三島市や清水町の花の会の活動にも顔を出し、緑化事業の推進にも余念がない。「人々が自然を大切に思う心を守り続けたい」と明るい表情で語る。

 「緑香苑」を経営する同窓会長の山本一喜(昭29卒)=沼津市下香貫=は、母校の八十周年の記念事業で中庭の造園工事を手掛けた。情趣豊かな庭園は職員や生徒の憩いの場として愛された。山本が育った土地には沼津御用邸記念公園があり、庭園を手入れする植木職人のプロ意識を目の当たりにしてきた。「庭は永遠のもの。目指すのは施主の気持ちに配慮した庭造り」とポリシーを話す。長男の宜司(昭56卒)に経営の実権を譲ったが、変わらない意気込みで仕事に情熱を注ぐ。

 「加々見園」の代表加々見勝八郎(昭35卒)=三島市川原ケ谷=は「今後は自宅の庭を近所の人や通行者に広く公開して互いに楽しむ“オープンガーデン”の考え方が広がっていくのでは」と時代を読む。加々見はいち早くCAD(コンピューターを利用した設計)を取り入れるなど独自の方法で柔軟に顧客ニーズに対応し、「こんな時代だから自分から動かなければ」とホームページでの積極的な情報発信を欠かさない。「HPを一つのきっかけに、対面でのコミュニケーションを心掛けたい」と信頼関係の大切さを強調する。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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