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 第3章 農業に生きる 

林 業

愛鷹山の緑回復に奔走
 「これが生まれ故郷の森林なのか」。“インパール作戦”にも参戦し、南方の戦場から帰還した真野義夫(昭7卒)=沼津市山王台=は、戦争中の乱伐で荒廃しきった愛鷹山ろくの様子にがく然とした。「昔のように緑あふれる森林を復活させたい」。愛鷹山組合に就職したばかりの真野は使命感に体を震わせた。

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環境の時代に合わせて“森をつくり、育て、守る”を実践する小野さん=沼津市
 真野は戦後の造林活動の先頭に立ち、ヒノキの植栽に没頭した。種苗の買い付けから育苗、組合員への分配や植え付けまでを綿密な需給計画に基づいて進め、自分の背丈に育つまで丹念に下刈り作業を繰り返した。「今でも山を歩けば自分が息をかけた木々は一目瞭(りょう)然」と真野。ピークの昭和三十年代前半にはヒノキ約四十五万本を植栽し、森林が徐々に回復していく経緯を見守った。

 昭和五十九年、真野は国土緑化推進委員会(当時)から功労表彰を受けた。「式典に出席された昭和天皇が今後の広葉樹植樹の必要性を説かれた時にはハッとした。将来の環境問題を見越しての鋭いご意見でした」と真野。「ヒノキなどの針葉樹に偏重してきた自分に新しい考えを示してくださった」と退職した今でも強くかみしめている。

 明治時代から約三千ヘクタールの森林を管理し続けた愛鷹山組合は、昭和二十四年に農地法の適用を受けて解散。その基盤を受け継いで新たに発足したのが現在の愛鷹山森林組合だ。組合長として尽力した卒業生は四代鈴木武雄(大7卒、故人)、五代上原栄(昭2卒、故人)、七代飯田静雄(昭24卒、故人)で、豊かな自然を次代に引き継いできた。

 現組合長の成島健一(昭11卒)=同市原=と専務理事の小野益美(昭29卒)=同市柳沢=は「環境の世紀」、二十一世紀の森林の在り方を模索する。現場の指揮を一手に引き受ける小野は、沼津市役所で林業行政に携わり、昭和四十年後半からはマツクイ虫の防除をはじめ地元の森林管理事業に積極的に関わった。小野は「不景気の影響などで林業の円滑なサイクルが途絶えている」と現状を分析するが、豊富な経験と知識を生かして森林維持に努め、将来を見据えた人材育成にも力を注ぐ。

 最近は小中学校の総合学習や学校週五日制の課外活動として、林業体験などの指導も行う。ぎこちない手つきでノコギリを握る子供たちを優しいまなざしで見守り、「自然の素晴らしさに目を向けるきっかけになれば」と期待を寄せる。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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