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 第3章 農業に生きる 

農  協(1)

合併不可欠と心一つに
 平成五年三月、沼津市など一市二町にまたがる沼津、沼津市片浜、東静清水、長泉の四農協が合併し、新生「JA南駿(なんすん)」が誕生した。激変する社会情勢に対峙(たいじ)するために農協の経営力強化は必要不可欠だった。地固めに尽力した初代組合長の宮本譲(昭15卒、故人)は「組織を充実し豊かで活力ある地域農業の構築を目指す」と広報創刊号に趣旨を力強くつづっている。

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平成5年、JA南駿の開所式でテープカットする当時の役員ら。左が宮本組合長=「広報JAなんすん創刊号」より
 合併には三年の月日を費やした。農協の代表らで構成する合併研究委がまず発足。組合員との座談会を開いて合併のメリットについて理解を求めた。各農協の伝統や地域に根付いた特産物、組合員の意識などの問題を綿密に話し合い、すべてを踏まえた上での軟着陸を目指した。

 当時合併準備室の一員として進行を見守った内田逸雄(昭30卒)は「組合の新名称には幹部一同が頭を悩ませた」と振り返る。候補名は全国からの公募で集まったが、選考は難航した。「都市名にこだわらず合併を最優先しよう」。宮本組合長らの力強い呼びかけなどが実り、地域性を適切に表現した「南駿」に決まった。合併後、常務に就任した長泉町の鈴木幸治(昭21卒)は「さまざまな曲折はあったが、最終的に合併へ向けて各農協が心を一つにした」と述懐する。

 発足後の新体制では総務部長に内田、経済部長に野田昭(昭30卒)らの同級生が顔をそろえ、安全と信頼、豊かさとゆとりある生活を目指す「安・信・豊・遊」のスローガンのもと、事業活動の充実や組合員へのサービス向上に励んだ。

 現在JAなんすんは正、準組合員合わせて約二万八百人。職員は四百人を超え、温暖な気候と山と海に囲まれた豊かな自然を背景に地域農業の核としての役割を果たしている。

 合併前の組合長経験者には、三度に渡る市内農協の合併を経て生まれた沼津農協の青木昇平(大12卒、故人)、光林稔(昭16卒)、長泉農協にはヤマト芋特産化の地盤を築いた土屋善富(昭21卒、故人)らがいる。

 大沼磐(昭26卒)はことし五月までJAなんすんの副組合長。伊豆地域では沼農時代に学校近くで寮生活を送った伊代野清(昭21卒)が旧伊東市農協組合長を務めた。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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