<40>

 第4章 続・歩み 

歴代校長(中)

スキー教室に生徒歓声
 東京五輪を目前に控えた昭和三十八年、校名を変更し、新しいスタートを切った沼津北部高。普通校への転換期に在職したのが高村平一郎(故人)、杉田克己=沼津市=、山本純三(故人)。転換期には普通科に加えて農業、園芸、食品化学の三科が同籍し、杉田は「生徒同士を融和に導くかじ取りは難しかったが、学校を盛り立てようという気運はふつふつと高まっていった」と述懐する。

 完全普通校へ移行した昭和四十五年に“生みの苦しみ”を味わった山本は、農高からのイメージ転換に力を注ぎ、ひたむきに学校改革と向き合った。その一つが生徒の興味や進路に対応した教科選択制の採用。当時としては極めて画期的で、学習意欲を後押しした。

 長野県出身の伝田朴也=沼津市=は他校に先駆けてスキー教室を実施した。「高原教室などが流行した時期。雪体験が無い生徒たちは大はしゃぎだった」と目を細める。スキー教室は伝統行事として定着し、平成十三年まで続いた。七十周年の記念行事の一環で創刊した「松ケ尾記念号」は印象に深い。当時の同窓会長青木昇平(大12卒、故人)らとの関わりを通して「農高時代からの長い伝統と誇りを目の当たりにした」と懐かしむ。

 「大きな志を持って社会に羽ばたいてほしい」。生徒に熱い期待を寄せた湯原誠=御殿場市=は、正門近くに高さ約二メートルのブロンズ像「大志の像」の建設を進めた。「おとなしいが心が強い優しい生徒が多かった」のが生徒の印象。「だからこそ自信を持ってほしかった。心を込めて大志という字を揮ごうさせて頂いた」と思い出を語る。宇佐美雄司(故人)は朝礼の場で「健康な体作りのためにジュースより白い牛乳を飲め」とげきを飛ばした逸話が残る。

 八十周年を率いた近藤昭三=沼津市=は「校歌をNHK交響楽団に編曲してもらい、本校吹奏楽部とのジョイントで見事な合奏を披露してくれた。生徒たちも練習に熱心でした」とひたむきさやまじめさをたたえる。飯島孝=沼津市=は「校名を変えたいという動きがにわかに本格化し始めた」と一年という短い在任期間を振り返り、北部高最後の校長を務めた。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


静岡新聞へ