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「そのころは制服の改定ブーム。周囲の学校も徐々に変わり始め、生徒も気に掛けていた」と制服検討委の中心にいた教諭の佐々木禎。女生徒の希望に応えて検討委で視察や話し合いを繰り返し、一年ほどかけて絞り込みを進めた。
この時の夏服は二タイプあり、組み合わせて着ることもできた。一方は紺、もう一つは「沼津の海と真っ青な空をイメージ」(西原)した青緑と黒の明るいオンブレチェック柄。周辺校では珍しく「とてもかわいい」と注目されたが、生徒から「ちょっぴり斬新(ざんしん)すぎる」などの意見が上がり、平成九年度入学の生徒を最後に廃止された。しかし当時の生徒や教師の間には強烈な印象として残り、今も“幻の夏服”として懐かしがられている。 制服と同様に学校のシンボルの校章は、昭和二十三年の学制改革を機に生まれた。全校生徒からアイデアを募集し、遠山宏(昭24卒)のデザインが原案として採用されたという。「自分の身近にあった稲穂と葉を見てぱっとひらめいた。交互に組み合わせてちょうど雪の結晶のように描いた」と遠山。アレンジが加わったのか今では「麦の穂と葉を象徴」すると伝えられている。 改定前の校章は下で結わえた稲穂が「農」の文字をぐるりと囲み、沼津の「ヌ」を背景に松葉が描かれた図柄。「終戦を迎えて変化の兆しが見えていた。格好の良い校章を目指して五つほど候補案を提出した」と思い起こす遠山は、「先生から自分の案が選ばれたとそっと聞かされた記憶がある。自分の中ではひそかな誇り」と胸を張る。 当時から約五十年以上続く校章は、今ではすっかり生徒や市民の間に定着した。現役生は葉の部分を青、緑、エンジに色分けした学年カラーのバッジを着け、同色の下履きをそろえてきびきびと校内を歩いている。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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