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 第4章 続・歩み 

名物教師(下)

思い出深い豊かな個性
 昭和二十年代半ば、まだ珍しかったブロッコリーを栽培するなど、先進的な野菜栽培で生徒をうならせた日高浩一郎(宮崎県、昭25―36)。根っからのマイペースでついた愛称は“スロー”。「言い得て妙」と笑う日高は静岡をこよなく愛し、同窓会に呼ばれれば九州からはるばる足を運ぶ。在任時は妻と共に高校近くの宿舎に住み、「雨が降れば農作物が心配で二人で学校の畑へ飛んで行った」と懐かしむ。

 製茶やみそ、ジャム作りなど農産加工専門の“ガンちゃん”こと岩田成志(沼津市、昭26―42)は剛腕ぶりで有名。昭和三十九年、修学旅行の宿泊先の別府市内のホテルで、裏の壁を登って侵入した泥棒をつかまえて教え子と共に大分県警から感謝状を受けた。現在も空手道八段の腕前を生かし、沼津市内の道場「向陽館」で後進の指導にまい進する。

 「歌手舟木一夫の曲で創作ダンスを指導してくれた」とユニークなエピソードが残る体育教師の神尾あや子(三島市、昭44―54)は、現在三島市の教育委員長。保健体育の授業の中で性教育の充実にも力を注いだ。鈴木順子(昭55卒)は「明るくて頼りがいがあった」と叱咤(た)激励された当時を振り返る。

 「コバテツが来た」とクモの子が散るように退散した生徒たち。「厳しかったが面倒見が良かった」と体育教師の小林哲雄(三島市、昭51―平10)を思い出すOBは多い。二十二年の長きに渡って務めた小林の思い出は「生徒指導とレスリングにひたすら追われた」。喫煙防止など生活習慣の改善に奔走し、大量の停学処分者を出した“伝説”も。沼津城北のレスリング部黄金期を築いた小林はトップ選手を次々に育て上げた名物教師。現在も県レスリング協会副会長を務める。

 小林が惜しむのはレスリングの教え子山本学(昭59卒、平10―13、故人)だ。高校時代から国体や高校総体で活躍を重ねた山本は、部活の指導に情熱を注いだが昨年十一月、がんのため亡くなった。同級生で妻の真弓(昭59卒)は「昔から曲がったことが大嫌いで正義感が人一倍強かった。母校の教壇に立つのは就職時からの夢。とても張り切っていました」と在りし日の山本を語る。

 教師ではないが「アイコさん」こと原愛子(昭47―平7)は購買のおばさん。「生徒と一緒にブルマーをはいてマラソンしたこともある。母であり友達のような存在だったのでは」と目を細める。“ベントウバコ”のニックネームがついた伊藤修平(昭17―44、故人)、園芸担当で学者肌の野呂明(昭29―45、故人)は山岳部の顧問。若くて兄貴のように慕われた“稲チャン”こと稲伸博(昭38―43、平8―9)、「豊かな個性を育ててくれた」竹田宜業(昭33―昭43)らも思い出の恩師に名を連ねる。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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