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実行委員長の下田恭平(三年)は「裏方として関わった準備期間の方が印象に残る」と放課後遅くまで忙しく奔走した日々を振り返る。ステージ、展示、装飾、広報の四パートに分かれ、各部門の責任者を務めた八木直樹(三年)山口俊介(同)荒垣元章(同)室伏康平(同)が趣向を凝らした企画を次々と打ち出し、生徒会長の伊奈郁乃(三年)副会長の水上晃嘉(同)藤井裕子(同)役員の堤陽子(二年)長田裕太(同)らも率先して現役生を引っ張った。 「百周年ならではのイベントに」と委員のだれもが思いを強くし、その筆頭に若手OBで漫画家として活躍する「茶畑るり」さんにイメージキャラクターのデザインを依頼したことを挙げる。インターネットを利用して接触を試み、本人の快諾を得た。出来上がった個性的なイラストは垂れ幕や看板に活用し、校内外にアピールした。 そのほかにも校内の装飾や各クラス、部活ごとの展示発表の充実、模擬店の活発化、有志による華やかなステージ発表など、実行委のアイデアを集結した一大イベントは生徒だけでなく、教師やPTAからも好評を博した。 内容を全面的に改革した最終日の体育祭も見どころの一つ。実行委員長の鈴木優一(同)は「記録会的な性格が強かった今までと変え、楽しめるレクリエーション種目を多く盛り込んだ」と胸を張る。ことしは初めて一―三年生を組み合わせてチーム編成した色別(カラー)対抗。騎馬戦や棒取りなど団体競技を多彩に取り入れ、生徒もいつにない盛り上がりを見せた。 松風の音を波の音に例えていう「松濤」を学校祭の名にしたのは昭和五十二年から。それまでは「北部祭」、沼農時代は農産物を展示即売する「興農祭」として生徒や市民に親しまれた。全校生徒が協力して作り上げる学校祭は生徒の活力を測る一つのバロメーター。卒業生の心にも学校生活の思い出の一つとして強く刻み込まれている。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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