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 第4章 続・歩み 

アイソトープ研究部

未知の領域に興味津々
fujinomiya
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竹田が保管する当時のアイソトープ使用申請証や実験結果

 放課後の部活の時間。校庭の片隅で二、三人の生徒が額を寄せ合い、四角い機器を自然光にかざしていた。微量放射線を測定するガイガーカウンター。放射線の粒子に触れると「ガ、ガ、ガ」と小さな音を発した。

 県下で唯一の「アイソトープ研究部」が誕生したのは、昭和三十年代前半。沼農転任前に東京大学でラジオアイソトープ(放射性同位元素)を学んだ化学教諭の竹田宜業が、「農業の教育に生かしたい」と研究していたのを、好奇心おう盛な生徒がのぞきに来たのがきっかけ。自然に活動が始まった。「放射性物質を扱うため科学技術庁原子力局(当時)から直々に認可を受けた。全国的にも特異な例だったと思う」と竹田。

 初期の実験は、微弱な放射性を持つリン32を肥料を介して植物に投与し、茎や根などの吸収状況や光合成との関係などを調べるもの。放射線の感光作用を利用して現像し、出た結果を生徒と一緒に考察したりした。原子力爆弾のような放射能の破壊的な一面だけでなく、将来は品種改良やガン治療などの最先端の技術に役立てられることも雑談の中で教えた。

 化学室の奥にあったアイソトープ実験室は部活の時間以外はカギが掛けられ、大部分の生徒にとっては“未踏”の教室だった。昭和三十五年から同部に所属した西島美男(昭38卒)は「最初の二年間は自分一人だけだったが、充実していた」と振り返る。「農作物の品種改良に期待が掛けられていたから将来のために学びたかった」と意気込んで入部した。

 当時顧問だった熊切淳一(故人)と二人で臨む実験は興味深く、西島は「ハツカダイコンの種に一定時間アイソトープを含ませて置き、発芽後の成長の過程を細かく調べた」と手掛けた実験内容を思い返す。突然変異が発生する割合を調べるのが最大の関心事で、「土日も構わず観察に訪れた」と誇りとやりがいを持って研究に没頭した日々を懐かしむ。

 普通校への移行や男女共学により、当時は新しい部活が続々と創設し始めたころ。生徒は「学校の思い出作りに」とそれぞれが活動に情熱を注いだが、同部はアイソトープの入手を手掛けた竹田の転勤などで、昭和四十三年ごろ終息を迎えた。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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