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 第4章 続・歩み 

男女共学

戸惑いとときめき交錯
fujinomiya
共学となり男女で机を並べる当時の生徒たち=「70年のあゆみ」から

 校舎の裏手から「ポーン、ポーン」とボールを打つ快音が響く。男子ばかりの軟式テニス部。荒っぽい上級生に「壁打ちでもやってこい!」と促され、入部したての女生徒は、校舎の壁に向かって懸命にラケットを振るった。

 普通科が新設された昭和三十八年。男女共学となった北部高に女子二十人が入学した。悩んだのがクラブ活動への受け入れや練習場の確保。運動部は女子部員が少ないこともあって敬遠されがちで、多くが華道などの文化部に入部した。三年生の時に創部した家庭クラブに入った石川和子(昭和41卒)は「女生徒の居場所作りの意味があったのかもしれない。刺しゅうや調理実習をして楽しんだ」と思い起こす。

 「入学間もないころは友人と農業施設をのぞいて校内探検したこともある。第一期生としてのびのびと過ごした」と石川。学校側も初めての女生徒に気を使ったようで、飯田初代(昭41卒)は「更衣室やトイレなどの施設面で特に困ることは無かった。先生方が気配りしてくれた」と感謝する。

 共学の道が開け、翌年からは普通科のほか園芸科にも女子が入学してきた。「学校創立以来の椿(ちん)事」(松ケ尾10号)と男子は騒いだが、当時の教師の一人は「夢はフラワーデザイナーなどと目的意識を持った生徒が多かった」と振り返る。園芸科四十八人中、女子二人だけでたくましく過ごした坂田京子(昭44卒)は、「男女隔て無く、草むしりをひたすら課された記憶がある。松のせん定だけは危ないと言ってやらせてもらえなかったが、私はむしろ挑戦したかった」と肩をすくめる。

 共学の影響で男子ばかりの環境がぱっと華やいだが、戸惑ったのは農業科や園芸科の上級生の男子生徒たち。フォークダンスで数少ない女子と手を握ったのは三年生の特権だったが、「恥ずかしくて素っ気ない態度を取ってしまった」「すれ違うとドキドキした」と戸惑いとときめきが交錯した心情を吐露するOBもいる。当時は男子の間でラッパズボンや角刈りがはやり、普通科の渡辺幸男(昭41卒)は「格好つけたい気分もあったのでしょう。机を並べた同級生や先輩、後輩で結婚した者も少なくない」。

 現在、女子生徒は全校生徒の四割を超え、ことしは生徒会長を伊奈郁乃(三年)が務めている。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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