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 第4章 続・歩み 

スキー旅行

白銀の世界の美に浸る
fujinomiya
雪にまみれてはしゃぐ生徒たち=平成2年度のスキー旅行

 見渡す限りの白銀の世界。照り返しのまぶしさをこらえて、生徒たちは丘のかなたに目を凝らした。雪煙を上げ、斜面をしなやかに滑走してくるインストラクター。見事なひざ使いと熟練のストックさばきに「ワー」。拍手と歓声が巻き起こった。

 スキー旅行は昭和四十八年から始まった。初年度は福島県の裏磐梯スキー場で行い、まず一、三年生の希望者が参加。好評により五十年代の後半以降は二年生の修学旅行として親しまれた。都市部への旅行に比べ、「羽目を外さない」というのが理由だったが、当時県東部の県立高では極めて珍しく、後には群馬県嬬恋村に場所を変えて行われた。

 降雪が珍しい静岡からのスキー旅行。生徒のほとんどが初めての体験で、旅行前は「怖い」「大変そう」と戸惑いや不安が噴出した。しかし心配はすぐに杞憂(きゆう)に終わった。生徒たちは新雪の美しさに感動し、スキーの魅力にすっかり引き込まれた。

 相磯昭博(昭51卒)は「まだストッパーをひもで代用していた時代。初めてだったが楽しめた」と懐かしむ。秋山長生(昭56卒)は「リフト券が二枚しかなくて、スキー板を抱えて何度も上まで登るつわものも多かった」。中にはリフトに乗ったがタイミング良く降りられず、周囲の失笑を買った生徒もいた。

 上級から初級まで少人数でグループ分けし、指導役は比較的若いインストラクターが担当した。板のはき方やストックの持ち方に始まり、転び方、横歩き、方向転換まで基礎の技術をみっちり学んだ。しりもちをついたりつんのめったりして青あざをつくるのは日常茶飯事だったが、「吸収が早く、最終日の自由滑走ではボーゲンくらいはできるようになっていた」と初期のころ研修日程を企画した教師の後藤槙雄は振り返る。

 四泊五日の集団生活。日中のスキーで体はぐったりしていたが、夜は地元のお年寄りにわらじ作りを習ったり、クラスごとに企画した出し物を発表するレクリエーションの時間も。平成四年卒業のOBは「二月のバレンタインデーと重なるから、女生徒からチョコを受け取るのも楽しみの一つだった」とこっそり打ち明ける。

 「もう一日あればもっと上達するのに」。修学旅行でスキーに親近感を抱いた城北高の生徒たちは、飽き足らず、卒業後も友人らとスキーに出掛ける機会も多いという。

 スキー旅行は二十九年間続いたが、時代とともに家庭で行く機会が増え、スノーボード人気などに押されて平成十三年度で廃止に。代わりに昨年は九州へ赴き、ことしからは平和教育をテーマに広島県やその周辺県にも足を伸ばして見聞を広めていく。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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