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気温三七度。うだる暑さに追い打ちをかけるように、セミの鳴き声が耳をつんざく。校舎の第一棟を改築するため、運動場の片隅に建てられたプレハブ校舎。しゃく熱状態の教室の中で、生徒たちはその暑さにすっかり参ってしまった。 平成四年夏に始まった第一棟の全面改築工事。平成四、五年に入学した一年生は、仮校舎で過ごすことに。田中拓郎(平7卒)は「工業用の大型扇風機が二基あったけれど、暑くてどうしようもなかった」。翌年入学の女生徒は「歩くとミシミシした。雨が降るとじめじめしてスリッパが脱げたりした」。 改築が決まった第一棟は最も古く、昭和三十五年に建てられた。薄暗くて壁の一部がはがれ、床が重さに耐えられずにへこむなど、老朽が激しかった。 当時の校長米浦貢は「建設用の大型ダンプが通って危険だから、地区住民への説明会を開いて理解を求めた」。通学する児童や地域の人に利用してもらうため、学校の敷地内に“歩行専用路”も設けた。OBに思い出深い玄関前の松は、同窓会の意向を受けてグラウンドの隅に大切に仮植。工事の進行状況は同窓会報でも伝えられた。 新校舎の完成は一年半後の平成六年一月。鉄筋コンクリート五階建てで、ギリシャの神殿を彷(ほう)彿(ふつ)とさせる円柱が幾つも配された淡いピンク色の外観。中には職員室や美術、書道、音楽、LL教室、生徒ホールなど特別教室がずらりと並んだ。 窓ガラスから日光がさんさんと注ぎ、モダンで明るい校舎は“学校の顔”。「イメージアップにつながった」と学校関係者やOBには好評だった。書道部に所属し、書道教室を利用した阪野浩之(平7卒)は「墨を洗い流すのに必要な蛇口が旧校舎の倍以上の二十個もつくなど、設備が整っていた」と快適な環境の中で部活にのめり込んだ。 一方で、第一棟には普通教室が無く、生徒が授業を受けたのはもっぱら第二棟と第三棟。いずれも昭和四十年、五十六年の完成で、「靴箱がある昇降口以外はあまり利用できなかった」と残念がる生徒も。中には「昼ご飯は広々とした生徒ホールで」「トイレだけは新校舎で」と足を伸ばした生徒もいたようだ。 九十周年の記念セレモニーは新校舎の完成を待ち平成六年、二年遅れで挙行された。同年は女生徒の制服を一新するなど、学校全体のイメージ転換が図られた年でもあった。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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