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“教える”ことの厳しさ、楽しさを経験しながら教員生活や教育行政を全うし、地域の教育に寄与したOBも数多い。 平成四年から五年間、三島市教育長を務めた杉本武(昭18卒)=三島市=は沼農卒後、明治生まれの厳格な父親の勧めで教師を目指す。振り出しは「スシ詰め状態の電車に乗って通った」熱海の国民学校。後に三島市の沢地小、東小、南中の校長職を歴任した。 印象に残るのは当時校内暴力で荒れた南中の再建への取り組み。PTAらと連携して雨でも欠かさなかった早朝のあいさつ運動など、基本的生活習慣の見直しに腐心した。「まず教師全員の意識改革から始めた。“見て見ぬ振りはしない”と決め、まっ正面から生徒と向き合うようにした」。地道な活動が功を奏し、次第に校内に活気が戻った。 杉本は「中学時代は一番心揺れる時。生徒の心をじっくり育てるという意味で、六年間の中高一貫教育の考えには賛成できる」と今後の教育改革の行く末を見守る。教育長時代は三島市の生涯学習センター、中郷文化プラザの建設など「三島市の伝統文化と美しい環境を生かした教育作り」に手腕を振るい、豊富な経験を生かして平成十三年から三島市社会福祉協議会会長。「公平、公正、公開」をモットーに、高齢者の在宅サービスの充実など福祉行政に忙しい日々を送る。 「教員の道を選んだのは学校で担任だった平井昇(明45卒)先生の助言がきっかけ」と原点を振り返るのは、昭和五十五年から清水町教育長を十年間務めた大野武(昭13卒)=清水町=。沼農卒後に代用教員を一年間経験したが「教壇に立ってみて教えることの難しさをあらためて実感した」と静岡師範学校(今の静岡大)に進学。修善寺町の国民学校にまる一年勤務したが、「激しさを増す戦争のために入隊。中国へ赴き、もう二度と戻らない覚悟だった」。 復員後の昭和二十五年から再び教職に就いた。清水村立清水中を皮切りに、後に御殿場神山小、裾野西小、清水小で校長を歴任した。「子供を育てるには時間がかかっても良い。学業の成績だけではない生徒の個性を発見し尊重するよう心掛けた」と教師生活を振り返る。二期半務めた教育長時代は「自分の教え子がPTA役員として協力してくれたことが何よりも有り難かった」と述懐する。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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