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 第5章 卒業生群像

教育界(2)

エッセーで語る教育熱
fujinomiya
「ぺんぺんぐさ」の草稿を広げる大竹さん=沼津市岡一色

 「教頭は発言の機会が限られていたし、何かひとこと表現したくて」。昭和五十五年、沼津市第三中の教頭だった大竹武士(昭21卒)は教育エッセー「ぺんぺんぐさ」を書き始めた。教え子やその家族との心温まるエピソード、四季折々のよもやま話、教育への思い…。人をホッとさせる大竹の素朴な文章は同僚教師やPTAらに受け入れられ、退職後も熱心に書き続けたエッセーは昨年八月、二百三十四号を数えた。

 戦争のまっただ中を過ごした沼農から東京農大へ進学。尊敬する小学校時代の担任教師を目標に教員の道を歩む。戦後のモノが無い時代に、最初の赴任校片浜中へはゲタとカーキ色の国民服姿で通った。「生徒が求めているのは叱咤激励よりも温かい大人の声。教師の仕事は生徒のそばにいて希望を語ってやること」と大竹。若いころは自宅に生徒を十八人も泊めて勉強会を開いたことも。思春期で揺れる生徒たちを広い懐で受け入れた。

 沼津・愛鷹中、今沢中、原中の各校長、市校長会長を歴任して退職後、平成七年には県東部いじめ問題緊急対策会議委員長として青少年の健全育成に奔走。小中高のPTAや企業、各種団体などを対象にした教育講演会はこれまでに六百回を数え、今も県内を駆け巡る日々が続く。

 沼津大平中、原中、五中で校長を歴任したのが市毛磨須美(昭17卒)。思い出深いのが教師生活の始まりと終わりを過ごした第五中。全国的に中学生の非行行為が問題になった昭和五十年代。そこにあえてメスを入れ、「自由を取り入れ、自主性を重んじる」学校改革に着手した。制服の更新、服装自由の日を設けるなど画期的な取り組みで周囲の関心を集めた。退職後は十六年間にわたり沼津市の光長寺幼稚園の園長を務め、幼児教育に手腕を振るった。

 中学教師として保健体育を教えてきた裾野市立南児童館長の渡辺澄男(昭29卒)は、裾野須山小校長を務めた後、市教委学校教育課長へ。再び富岡中校長、駿東地区校長会長を歴任して退職した。平成十年から現職に。「最初は二、三歳の幼児を相手に戸惑いもあった。今ではしっかり目線を合わせて話すことができる」と交流を楽しむ。

 幼児教育では沼津市西椎路の愛鷹幼稚園長浅沼和雄(昭27卒)、沼津市西沢田の音羽学園あすなろ幼稚園理事長の榊原宣一(昭36卒)、妙覚寺住職の横山政遵(昭54卒)は沼津市下香貫の双葉幼稚園長を務めている。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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