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野菜農家の長男に生まれた歌崎は迷うことなく沼農に進んだが、卒業時には農業だけでは食えない時代を迎え、三菱アルミニウムに就職。勤労学生として夜間、日大短期大学部に通い、土曜、日曜に農業を手伝った。三十八歳で会社に在籍のまま裾野市議に立候補してトップ当選。二期務めた後、平成三年の県議選で自民党の公認候補を破って県議会に進出。商工労働企業委員長、総務・文教警察副委員長などを歴任した。三期目を目指した十一年の選挙では僅差で新人に敗れたが、現在、市区長連合会長、自民党裾野支部長を務め、捲土重来を期している。 沼農時代は授業より果樹のせん定や牛の世話など農作業が得意だった。学校で作ったキュウリやトマトを行商で売り歩いたことも。「バイクの二人乗り通学をお巡りさんに見つかり、学校に親が呼ばれてこっぴどく怒られたこともあったが、当時の山川浩太郎校長(故人)には人生のなんたるかを教えられた」と振り返る。荒廃した社会についても「教育をきちっとやれば良くなる」という。 JAなんすん初代組合長や県農協中央会副会長などを歴任した宮本譲(昭15卒、故人)は沼津市議を経て昭和五十四年から連続三期県議に当選し、自民党県連総務会長や県監査委員を務めた。蒲原町初代の公選町長となった佐藤一郎(昭3卒、故人)は、昭和三十年から連続四期県議を務め、県議会議長にも登りつめた。 第四代同窓会長の青木昇平(大12卒、故人)は沼津市助役や沼津農協組合長、駿東農業共済組合長などを経て、昭和四十二年から連続三期県議。県議会副議長の要職も務めた。見晴学園理事や県東部手をつなぐ親の会会長も歴任するなど福祉向上にも尽力した。戦後、県議会で活躍したのは矢野久太郎(大2卒、故人)。片浜農協組合長、県農業共済連副会長などを務め、昭和二十二年から四期当選。自民党県連副会長、政調会長を歴任した。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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