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平成六年、五十万枚を売ったセカンドシングル「憧夢―夢に向かって」で日本レコード大賞の新人賞を受賞、スターダムに駆け上ったロック歌手の「Be―B(ビー・ビー)」(昭62卒)。「憧夢」がテレビドラマの主題歌に起用されたことで一気に人気に火がついた。デビュー一年でシングル七曲、アルバム二枚を矢継ぎ早にリリース。「あの時はただただ不思議な気持ち。ジェットコースターに乗った途端に勢いよく走り出してしまった感じ」と振り返る。 本格的に歌い始めたのはハードロック全盛期の中学時代。「サウンド全体の力強い印象に感動を受けてのめり込んだ」。兄の友人らとバンドを組んでハスキーボイスを披露。高校でも学校祭で歌ったりポプコンに出場するなど、バンド活動に明け暮れた。 「歌手になる」夢を抱いて“東京行き”を決めたのは高三の冬。まずは全寮制の飲食店に就職することで家族を納得させ、上京。二十歳からはフリーター生活を送りながら歌唱力を磨き、ある時練習先の紹介で知り合った音楽プロデューサーに見いだされて「プロデビューがトントン拍子に決まった」。 デビュー後はテレビ出演や深夜のラジオ放送でレギュラー番組を抱えるなど仕事に追われたが、持ち前のガッツで精力的にこなした。同期にはTOKIOなど多彩なアーティストがずらり。その中でも力強い歌声を気持ち良く響かせる曲の数々は、「応援歌」として若者の心をがっちりとつかんだ。「自分の歌で人を勇気づけられるのがうれしかった」。平成八年には地元長泉町の「ベルフォーレ」で県内初のコンサートを実施し、熱い声援を受けた。 平成九年に事務所を移籍。「和泉容」と名前を変えて再スタートし、平成十一年からフリーに。「自分を見つめ直す」期間として現在は活動を一時停止している。「年を重ね、経験を積めば積むほど説得力ある歌が歌えそうな気がする」。復帰を待ち望むファンの声もあり、徐々に調整していくつもりだ。 中学の三年間バレー部で鍛えられ、高校では一年生の半年間だけ陸上部で円盤投げに挑戦した。その後はフォークソング部で好きな音楽に接し、充実した学生時代を過ごした。「才能はやる気。自分の意志を貫くことで夢は必ずかなうと思う。だって私、小さいころは音痴だったんですよ」と歌手を夢見る後輩たちを応援する。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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