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「種をまいて苗を育てる。大地に根差した環境の中で思春期の三年間を過ごせたことは、私の企業経営のバックボーンになった」―。食肉加工の米久(沼津市)を東証一部上場会社に育て上げ、現在はレジャー施設運営の時之栖(御殿場市)を中心に、幅広い企業活動を展開する庄司清和(昭33卒)は高校時代を振り返る。 農家の長男として沼津農業高に進むのは「いずれ農業をやる身として当然のこと」だった。そこで農作物を栽培する苦労や喜びを知った。「後から考えると自分の人生にとっては、図らずも最良の選択だった」と話す。しかし、農業経営は厳しい時代を迎え、東京農大畜産学科で学んだ後は就職する道を選ぶ。 「なまじ一流企業に入らなかったことが幸いした。だからこそ自分でやってみようと思った」。働きながらためた十六万円を元手に、「米久」として独立を果たす。昭和四十一年、物置を借りて加工工場にし、焼き豚を作って販売を始めた。事業は拡大したが資金繰りに追われ、最初の十年間はいつ倒産してもおかしくなかったという。 転機となったのは五十五年。「米久が危ない」といううわさを流され、類似商品を作って安く売っていた経営方針を見直した。「ユニークな商品、特徴のある商品がないと企業は成長しない」。全国で初めて生ハムに取り組み、新しい境地を開拓した。この精神が米久を上場会社に押し上げた。今ではオリジナリティーにこそ成功の秘けつがあると確信している。 地ビール製造への参入も印象深い。私財を投じて用地を確保し、御殿場高原ビールを設立して県内の地ビールブームに火を付けた。実は地ビール参入には社内から大きな反対があったという。「それだけに何度も本場ドイツを訪れて学び、必死になって努力した」と振り返る。「考えて後ずさりではなく、考えてぶつかってみて、それを乗り越えた時に初めて成功への扉が開く」。一歩を踏み出す決断が事業家にとって大事なことだと強調する。 米久社長在任中から「社長六十歳定年」を公言して実行した。今春には役員も退いて、同社経営の一線から退いた。しかし、起業家精神は衰えを知らない。時之栖の事業拡大を図る一方で、お弁当・総菜販売の天神屋(静岡市)、食品スーパーのひのや(富士市)の立て直しにも乗り出した。社員の意識改革をはじめ、次々に経営体質の強化を進める。「社員が元気になり、会社が変わっていくことに喜びを感じる。それは農作物を育てることに通じるものがある」。常に原点はそこにある。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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