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「しまった」。昭和五十四年、宮崎国体の団体戦メンバーの一人、稲木勝治(昭55卒)は、決勝戦の前に自分の矢を練習場に忘れるハプニングに見舞われる。急きょ、成年の部の選手に矢を借りて本番に臨むことに。 「どうなるかと思いましたが、意外に冷静でした」。稲木は持ち前の実力を発揮し、沼津市立高の二人の選手と共に連続的中を達成。近的で優勝、遠的でも二位の快挙を成し遂げた。「納得行く結果を出すためには精神の鍛錬が必要。高校時代は毎日百射ぐらい練習した」。社会人二年目に臨んだ国体成年の部でも近的八位に入賞、現在も市体育協会の弓道教室の指導員を務め、後進の育成に力を注ぐ。 弓道部が久々に県大会を突破したのが平成八年。団体で県三位の好成績を収めた菊地宏佳、宮崎恭、小林友也、関野大介、勝又貴輝(平9卒)と、個人戦三位の高橋宏児(平9卒)の実力者がそろい、岐阜の東海大会に臨んだ。いずれも決勝に駒を進め健闘した。 最近活躍が目立った選手に福岡県の全国選抜大会に出場した佐藤卓也(平14卒)がいる。佐藤は県秋季弓道大会で予選、決勝合わせて十六射の皆中。トップで個人優勝を飾った。「毎年全国大会に出る有力選手が最初の一射を外した時にこのままキープしなければと思った。あの時は本当に調子が良かった」と佐藤。当時顧問の広瀬豊は休憩時間に話した佐藤の落ち着き払った様子に「優勝を予感した」と思い起こす。 佐藤に続けと奮起する現在の部員は、部長の川口啓市郎、副部長の島田裕、稲葉夏奈を中心に一、二年生の二十五人。みな初心者で始めた生徒ばかりで、毎日「二十射」を目安に的中の精度を高めている。川口は「県大会で良い成績を残して、いずれは全国へ」と語気を強める。 できるだけ本番に近い雰囲気作りを、と道場内は射手以外の入場を控え、的中するごとに「射(シャ)」と掛け声して士気を高めることにしている。師範の川村昭に週一度指導を受ける生徒たちは、常に練習熱心。連日夜遅くまでひたむきに弓を構える。 現在の弓道場は昭和六十年の完成。道場には「正射必中」の力強い書文字が飾られているが、これは当時の顧問草間健が依頼し、書道部で活躍した阪野浩之(平7卒)が書いたもの。「正しい射形で一連の動作をよどみなく行えば、矢は必ず的中する」。部員たちの心に、常に刻まれている言葉だ。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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