![]() | <2> |
酒井次吉郎(昭15卒)。終戦直後の昭和二十年秋。静岡駅に降り立ち、目の前に広がる静岡市の光景にがく然とした。焼け野原が続き、記憶にあった建物は消えていた。「何もなかった。遠くに浅間神社の鳥居が見えるだけだった」 慶応大に在学中、学徒出陣した。配属先は本土防衛を目的とした九州の特殊部隊。前部に爆薬を装備した小型艇で敵艦に体当たりする任務が課せられた。「出撃すれば、即、死ですよ」。八月に終戦が告げられ、出撃命令が下されることはなかった。 復員後、発足して間もない静岡銀行に入行した。産業が壊滅的な打撃を受け、社会は慢性的な物不足とインフレに襲われていた。「インフレ抑止のため、基幹産業を重視した傾斜融資と通貨の切り替えが行われた」 トラックに乗り、旧円を回収し、日銀に運び込む毎日。軍服姿で行員に号令をかけた。職場の序列にこだわらず、上司にも指示した。「整然とした行動を取らないと大混乱する作業だった。軍隊で経験した指揮命令が役に立った」 東京支店時代、上京した頭取から地方銀行の役割を教えられた。「地銀と地域は運命共同体。地場産業の振興こそが地銀の使命だ」。時には配給の酒も入り、私塾の雰囲気が漂った。「地銀の仕事をやり通すには健全経営に徹することが重要であり、そのためには自己資本比率を上げ、経費率を下げることを忘れてはならないと仕込まれた」 健全経営の精神は高度成長期、バブル期にも貫き通された。他行が量的な拡大を目指しても、静銀は県内企業への融資を重点に据えた堅実な経営を続け、国内金融機関の中でトップ水準の評価を受けるまでになった。「地域経済が発展してこそ、地銀も成長する」。信念に揺るぎはない。 卒業した静岡中学校の校風は質実剛健。「真冬でも学生服とメリヤスのシャツで通した。上級生に会うと敬礼する決まりなので、通学時、下級生は敬礼をしっ放し。厳しかったが、ルールを守った」 県公安委員会委員長、「小さな親切」運動県本部代表も務めた。「今の世の中、物的な豊かさにばかり目を奪われて、心の豊かさ、しつけを忘れてしまった。しつけ教育に真剣に取り組む必要がある」
(文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |