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三木卓(昭29卒)。「呼吸が止まる瞬間まで見ていた。父の死はものすごいショックだった」。戦時中、一家で満州に暮らしていた。国境からの避難民の面倒を見ていた父が発疹チフスにかかり、死亡した。そして終戦。母と兄、祖父の四人で引き揚げ船に乗った。手にしたのは着替えだけ。「すべてを置いてきた。その時、無常観みたいなものが染み付いた」 母のふるさとの静岡市に落ち着き、昭和二十六年、静岡城内高校に入学した。百分間の授業だった。「へとへとでした。特に数学と英語はきつかった。三分の一ぐらいの生徒が夏休みの講習を受けた。必死になって勉強した」 二年生の時、文芸部誌に小説「この露路(ろじ)の暗き涯を」などを載せた。「書くことが自分の態度表明だった。どう評価されるかは考えなかった。どう思われてもいいからと書いた」。書くことが面白く、書きまくった。古本屋を回っては安価な文庫本などを乱読した。 早稲田大に進むと、詩を始め、雑誌「現代詩」新人賞で入選した。卒業後、「東京午前三時」でH氏賞(昭和四十一年)、「わがキディ・ランド」で高見順賞(同四十五年)を受賞した。小説を本格的に手掛けたのは三十代半ば。敗戦直後の満州の現実を少年の目で見た「鶸」で芥川賞(同四十八年)に輝いた。 「引き揚げ体験がどこかで顔を出す。戦争がそうだが、人間は性懲りもなく、愚かなことを繰り返すし、それとは別に愛すべき愚かさも持つ。愚かさをどう考えるのかが、自分の中で大きな意味を持ちつつある」。雑誌「すばる」で高校時代の体験を基にした「柴笛と地図」、「短歌研究」で「北原白秋」の連載を続ける。 詩人の小長谷清実(昭29年卒)と故・伊藤聚(同)、音楽評論家・ドイツ文学者喜多尾道冬(同30年卒)は同じ静高文芸部員。 興味のある分野を磨くことが個性の発露につながる。「数学に興味のある子はいつも数学のことを考えている。意識しないでも、思い浮かぶことがその人が興味を持つもの」。若者への期待感も大きい。「超一流の世界は既成の知識が及ばない。そこに踏み込む創造力と野性の力が重要」 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |