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遠藤安彦(昭34卒、FIFAワールドカップ日本組織委員会事務総長)。昭和三十一年夏の静岡高校自治会委員長選挙。委員長候補の大石哲司(昭33卒、県議会議員)とともに副委員長として名乗りを上げた。公約「生徒のための自治会」を各学年にきめ細かく訴えて二人は信任投票で当選した。 体育・文化祭の「ギョウ高祭」の運営など自治会活動に力を入れ、功労賞も受賞した。だが、仰天する出来事が起こった。翌年の選挙で、後継と目していた立候補者らが不信任となってしまった。「頼んで立候補してもらった人たちで、大石さんと頭を抱えた。理由は今もって分からないが、私たちの不徳の致すところ」 東大法学部を卒業し、自治省に入省した。いきなり富山県に配属された。当時、中央省庁のキャリアは地方では課長クラスに就くのが常だったが、自治省は違った。県の新入職員と同じ身分からのスタートだった。部屋の隅の机に座り、新人たちと同じ仕事を黙々とこなした。「貴重な経験だった。“下”から見るという目線が身に付いた」 秋田県の税務署長、大分県総務部長などを経て自治省に戻り、大臣官房審議官、大臣官房長、財政局長、事務次官の要職を歴任した。「難しいとか内部で抵抗を受けそうだと思っても、国家、国民のためになると考えたら、『駄目でもともと』と実行すること」 市町村合併の必要性を説き続けた。「人口が減れば、予算が減る。合併してある程度の規模にして自由にできる金や人材を得るようにしないと地方は独り立ちできなくなる」。中央集権からの早期脱却も持論だ。「戦後復興に効果的だった権限、許認可の集中は、経済成長が目に見えた時に変えるべきだった。そのまま維持して地方の自立を阻害している。官僚も権限を手放し、地方分権をさらに押し進めるべき」 サッカーW杯を振り返る。「フーリガン、テロ対策に気を遣ったが、無事に日韓共催を成し遂げることができてよかった」。地域創造の理事長として地域文化の振興に尽くす。「現代人に必要なのは相手の立場に立つこと、それは他人を思いやる気持ち」 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |