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第1章 卒業生の思い

(2003年4月9日掲載)
チャレンジ精神を重視
同窓会長
 桜井一男氏(72)

母校と同窓会の発展を願う桜井一男氏=静岡市内

 桜井一男(昭23卒、サクライ石油社長)。静中三年だった昭和二十年六月。陸軍士官学校を目指し、横須賀町=当時=で、グライダーの滑空訓練を繰り返していた。ある朝、起床すると、空が黒く煙っていることに気付いた。煙は日射を遮るほど濃かった。米軍の爆撃機B29の空襲を受け、燃え上がった静岡市から漂ってきた黒煙だった。

 「煙の様子で空襲のすさまじさを感じ、驚いた」。同級生の木野守正が焼死したとの知らせが届き、驚きは深い悲しみに変わった。「無二の親友で、兄弟のようだとも言われた。木野君が海の特攻、自分が陸の特攻になり、国のために尽くす約束もしていた」

 間もなくして終戦を迎えた。静中の校舎の大部分が焼け、住友金属の建物で授業を受けた。教科書も不十分で、授業は一、二時間で終わった。だれかが、バレーボールを見つけた。固くてサッカーボールのようだったが、妙に胸が高鳴った。ネットはなかったが、校舎わきでボールを追いかけた。二十一年、バレーボール部が生まれた。

 翌年五月、旧駿府城内の兵舎を改造した校舎に移った。専用コートで、連日、猛練習を続けた。「日焼けで顔はいつも真っ黒だった。海軍から復員した先輩から厳しい指導も受けた」。部費も少なく、一日で二百四十円の稼ぎになることから「ニコヨン」と言われた廃虚の後片付けで得た金でボールやネット、ユニホームを買った。

 焼けだされ、苦労を重ねた父親が急死し、急きょ家業を継ぐことになった。心配した担任教師の河村浩の励ましが心の支えになった。「静中で身に着けた志を高くして学ぶ姿勢があれば大丈夫だ。やるからには立派な商人になれ」。販売をそれまでの食用油、工業薬品から、需要が出始めた石油類に切り替える経営改革を始めた。「銀座で行き交うスクーターを見て、モータリゼーションの“波”を感じた」

 挑戦する姿勢を重視する。「年功序列の時代は終わった。自分で何ができるのかを考え、積極的に取り組むことが大切」。同窓会長として二つの“柱”を掲げる。「一つは母校の発展。生徒たちが勉強しやすくするために全力で応援する。もう一つは同窓生の親ぼくを深めること。三万人の卒業生が手を携えれば、同窓会は力強く進展する」

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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