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赤堀元之(平元卒)。野茂英雄(現ドジャース)が近鉄の大黒柱だった当時、抑えの切り札はこの男だった。最優秀救援投手に五回輝き、平成四年には最優秀防御率のタイトルも手にした。その後、故障もあって低迷が続いたが、復活を期した背番号「19」は、十五年目の今シーズンの開幕を一軍で迎えた。 藤枝青島中時代、夏の県大会で優勝投手となり、夢の甲子園への近道として県内一の伝統校に進学した。二年でエースにのし上がり、その夏、ひのき舞台のマウンドにのぼったが、初戦で関西高(岡山)に2―6で完敗した。「出たには出たけど、あまり甲子園の記憶はないですね。『翌年も絶対行かなくては』という思いだけが強かった」 三年生の夏の県大会は初戦敗退。四回までパーフェクトを続けていたが、失策が重なり涙をのんだ。「『えっ、終わっちゃったの』という感じで僕らもびっくりした。これで三年間が終わってしまったけど、伝統の重みをずっと感じて、つらかった部分もあった」 二度目の甲子園はかなわなかったが、その才能は先輩で当時近鉄スカウトだった小田義人(昭41卒)の目に留まった。昭和六十三年にドラフト四位で指名された。「コーチの権藤(博)さん=元横浜監督=から『コースはどうでもいいから、ど真ん中狙って思い切り投げろ』と言われた。その通りにしたら一四〇キロ後半まで出るようになった」 当時抑えの切り札だった吉井理人(現オリックス)が故障し、その代役が急きょ回ってきた。「最初は中継ぎから抑えに移動したという感覚だった。肉体的な面より、やっぱり精神面がきつかったかな。次第に気持ちは楽になり、自分の投球さえすれば、抑えることができると自信が持てた」 抑え投手としての実績を重ねたものの、先発志向は消えず、転向を志願した。「きれいなマウンドで初めから投げたかった。実際、先発してみると、後ろの方が自分の性格に合っているのかなとも感じた」。先発転向後、間もなく肩やひじの故障に見舞われた。 せっかく開幕一軍を手にしたものの、現在、右肩の張りを訴えて二軍で調整。本格復帰まで二―三カ月かかる見込み。かつてのチームメートで同級生の梶山義彦、天野義明は社会人チームで活躍している。「あいつらがまだ、やっているので負けられない。いい刺激になっている。今年は勝負の年。周りを意識せず気負わないでやりますよ」 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |