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第1章 卒業生の思い

(2003年4月30日掲載)
常識覆した理論と実践
静岡学園高サッカー部監督
 井田勝通氏(61)

人のやらないことをやるのが信条と語る井田勝通氏=静岡市内

 井田勝通(昭35卒)。昭和五十二年の全国高校サッカー選手権で、静岡学園の試合が観客を驚かせた。守りを厚くするために配置するはずのスイーパーの姿が見えず、ディフェンス陣もハーフラインを越えて攻撃に加わった。

 さらに選手たちはドリブルで相手の股(また)の間を抜いたり、水泳の飛び込みのように身を翻してヘディングシュートを放ったりする華麗な個人技も見せた。当時の常識を覆すプレーにサッカー関係者は「高校生がやるサッカーではない」とまゆをしかめたが、チームは順調に勝ち進み、初出場ながら準優勝を達成した。「目指していたラテンサッカーが開花した。日本サッカー界に革命を起こしたいと意気込んでいたし、忘れられない大会」

 城内中サッカー部時代、静高の監督だった故長池実にあこがれた。「しっかりしたサッカー理論を持ち、きちんと現場で生徒たちを教えてくれる」。昭和三十二年、静高に入学し、さっそくサッカー部に入った。長池は間もなく藤枝東高に異動したが、チームは強かった。

 昭和三十三年、国体県大会決勝に進み、杉山隆一(元日本代表、元ジュビロ磐田シニアスーパーバイザー)を中心にした清水東と対決した。主将の故山口義人(昭34卒)、ディフェンスの河原崎薫(同)らが気を吐いたが、早いドリブルからセンタリングを上げる杉山に悩まされ、惜敗した。「悔しくて泣きながらグラウンドを走り回った」

 慶応大でもサッカー部に所属した。四年の時、欧州のサッカー理論を基に慶応高サッカー部を指導し、国体、高校選手権の神奈川県大会決勝に進出させた。指導者を志すきっかけになった。

 卒業後、静岡銀行に入行したが、サッカーへの思いは強く、退職して四十五年度日本サッカー協会コーチングスクールに参加し、日本で三十人目の公認指導員の認定を受けた。その後、欧州に渡った。「スクールで戦術、作戦のほか心理学や生理学など幅広い知識を得た。欧州では監督、コーチ、医者などを配したしっかりしたシステムも目にした。新しいことばかりで砂が水を吸うように吸収できた」

 「人のやらないことをやり、常に人より先に進む」。信念を熱く語る。「ラテンサッカーも小柄な日本人が欧州サッカーに勝つにはどうしたらいいかを考え思い至った」。静学サッカー部を率いて三十年になる。「指導者はハングリーでないと駄目。いつも現場にいて選手と同じように生活することも必要」

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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