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鈴木脩造(昭18卒)。昭和十六年、静中に発足したばかりの相撲部に入り、教師たちが造り上げた土俵で土まみれになって練習に取り組んだ。基本を重視する指導は厳しく、しこ、押し相撲を繰り返す日々が続いた。一年中、まわし一つで吹きさらしの土俵に立った。四年の時、県下大会個人トーナメントで三位に食い込んだ。「いつもくたくた。生傷も絶えなかったが、楽しかった」 静岡市内の篤農家の長男として生まれ、静中卒業後、W・S・クラークの「青年よ大志を抱け」にあこがれて北海道帝国大学予科に進んだ。民間企業への就職が決まったが、父の「家業を継げ」の一言で、北海道大農学部を卒業後、故郷で茶と温州ミカンを中心とする農業に打ち込んだ。 昭和三十八年に美和農協組合長に就任したのを皮切りに静岡市農協組合長、県農業協同組合中央会長、県信連会長、県経済連会長、家の光協会長などの要職を務めた。熱心に、しかもきちんとした論理に基づく指導は高い評価を受け、平成十三年、勲四等旭日小綬章を受章した。 この間、農協の合併、女性参画の促進など農協に関係するさまざまな課題に取り組み、成果を挙げた。「合併によって資金力の強化、管理部門や役員の削減によるコスト減で農協に力が付いた。自己資本比率も高まった。農協の体力がある時に合併を進めておいて良かった」 昨年、静岡市農協に、それまでゼロだった女性総代が百五人誕生した。女性の声を反映した農業政策を推進するためだった。「兼業化で男性が農業をする時間は減っている。中心になるのは女性。農家の主婦が地産地消に合った農産物を手掛ければ、地域特性を生かした農業が実現できる」。苦労もあった。「不良債権問題で混乱したが、皆さんのご協力で乗り切ることができた」 茶、ミカンなど県内の特産物は常に相場に左右されてきた。「本県は市場経済にもまれて、それなりのノウハウを持っている強みがあるが、安住していては駄目。挑戦が不可欠。農協も企業のように身を削る努力を続ける必要がある」。若者への期待も大きい。「厳しい時代だが、困難を直視し、逃げないで頑張ってほしい」 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |