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第1章 卒業生の思い

(2003年5月8日掲載)
独自ギャグ路線を展開
漫画家
 しりあがり寿氏(45)

「静高時代は仮装行列が一番の思い出」と話すしりあがり寿氏=東京・渋谷

 しりあがり寿(昭51卒、本名・望月寿城)。十三年間、サラリーマンと漫画家を掛け持ちし、現在は全国紙夕刊の四コマや雑誌の連載など大小月約三十本を手掛ける。「漫画は自分を社会に翻訳してくれる。自分にとって社会とのつながり。作品が受けたときは、社会に受け入れられた感じがして気持ちいいね」

 三歳ごろから絵をかき始め、小学校の卒業文集に「将来の夢は漫画家」と書いた。高校時代は美術部。放課後は当時の美術教諭が開放したアトリエで、美大の受験勉強に取り組んだ。「夜十一時ごろまで絵の勉強をしていたね。帰宅してから学校の勉強をしていたので、昔から二足のワラジは慣れていたんです」

 昭和五十二年、多摩美大のグラフィックデザイン専攻に入学。五十六年にキリンビールに入社し、宣伝やパッケージデザイン、商品開発などを担当した。入社五年目に単行本「エレキな春」を出版。「広告の仕事も面白かったんだけど、二つを掛け持ちしてやれるほど甘い世界ではないと思った」。平成六年に退社した。

 十二年に時事漫画「時事おやじ2000」と中年ギャグ漫画「ゆるゆるオヤジ」で第四十六回文芸春秋漫画賞、翌年には「弥次喜多 in DEEP」で第五回手塚治虫文化賞「マンガ優秀賞」を受賞した。「漫画で自分を認めてくれたのがうれしかったなあ。この時代に、作品を発表できる機会をいただいたことを大切にしていきたいですね」

 デビュー当初はパロディー的な作品が多かったが、三十代からギャグ漫画もかき始める。「流星課長」「ヒゲのOL薮内笹子」を世に送り出し、独自路線を貫く“寿ワールド”を展開する。「それまで自分の姿を徹底的に隠して笑っていた。そんなパロディーに漠然とした限界を感じたのかな。こっちが勇気を出して正体見せて笑われる番になるのは、結構勇気がいった。いい言葉で言えば客観的。自分が面白いと思って、かいているだけなんですけどね」

 静高の思い出は仮装行列。各クラスが持ち時間十分ぐらいで、ミニミュージカル風の出し物を披露する。リヤカーで張りぼてを作ったり、みんなの前で踊ったり。「静高は本当に楽しかったなあ。文化祭の準備で徹夜するなどして、『みんなでやったんだ』という経験をするかしないかで、今後の人生は変わってくると思う。高校時代は拡大再生したくなるような思い出をつくってほしいね」

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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