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前島秀章(昭33卒)。御殿場市の前島秀章美術館に木彫りの作品二百六十一点が展示されている。大笑いする夫と優しくほほえむ妻、あどけない仕草の童子、考え込む寂しげな鬼―。親近感にあふれた作品から素朴な喜怒哀楽の感情が伝わる。見ているうちに故郷に帰ったような心の安らぎを覚える。 静高二年生の時、叔母に連れられて訪れた京都の蓮華王院で衝撃を受けた。「並んでいる仏様を見た途端、感動で体が震え、涙がぼろぼろ出ました」。鎌倉仏師たちが作り上げた力強い木彫の仏だった。「こんなに素晴らしいものを作る人がいる。自分もこういうものを作ることを生涯の仕事にしたい」 木片を使ってイモやリンゴなど身の回りにある素材をこつこつと彫り続けた。出来上がると、放課後、校内の職員住宅に住んでいた工芸教師の水野光太郎に見せた。「うまそうに彫れたとか、まずそうだ、とかで、あまり細かなことは話されなかった。人の気持ちを楽にして勇気付けるのが芸術だと諭されていたことに気付くまで一年かかった」 貧しくて大学に進めず、アルバイトをして独学で彫刻を続けていたが、突然、災難に見舞われた。十二指腸潰瘍(かいよう)と分かり、手術を受けた。胃を摘出し、約一カ月入院した。一時は彫刻を断念しようかとも悩んだが、同室の患者が次々死亡する中、生き残った自分の姿をみつめた。「神様、仏様が『おまえにはやるべきことがある』と生かしてくれた。生きている喜びを彫刻で表現したい」。素材も木に絞った。「木は木材になっても生きていますから」 就職して安定した生活を送る同級生の姿に「競争に乗り遅れた」と焦りも感じたが、じっとこらえ、鑿(のみ)を手にした。初個展は三十三歳の時。遅いスタートだったが、日本古来の造形をベースにした作品は注目を集めた。作品を次々と発表し、五年後、ニューヨークでも個展を開き、高い評価を得た。「失われた日本の美を理解してもらえた」 美術館には水野の教えを表した額が掛けられている。「芸術は人間を幸せにするためにある。芸術家は人々を幸せにする職業である」。この言葉を忘れたことはない。 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |