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向坂(むこうざか)達也(昭29卒、県事業評価監視委員会委員長)。静高時代、静岡市内の公・私立高校の自治会、生徒会で作る市高等学校自治連盟の議長に選ばれ、一つの提案をした。「各校が交流し合う美術展をやったらどうか」。各校代表者とも異論はなく、秋、連盟主催の美術展が市内の百貨店で開催された。十数校の生徒たちが絵画、書道などを展示し、注目された。 連盟は美術展だけでなく、各校が演劇や音楽などを披露する文化祭も開いた。学校の枠を超えた広がりのある祭典は反響を呼んだ。「自分が発案した事業を皆さんのご協力を得て実現できたことに誇りを感じました」 静高にバドミントン部も作った。当時、強豪だった静岡城北高バドミントン部の指導を受けながら、腕を磨いた。「バドミントンが流行しだしたころで、二十数人が集まりました」 早大法学部に進み、昭和三十四年に卒業した。弁護士の父の影響もあり、法曹界を目指し、司法試験に挑んだが、なかなか突破できず、念願の合格を果たしたのは四十一年だった。 翌年、司法修習生になり、待ち続けた父に話し掛けた。「一緒に弁護士をやろうか」。大喜びする父。だが、思いも掛けぬ出来事が襲った。父が急性心筋梗塞(こうそく)で倒れ、その日のうちに他界した。「結婚を控えていた私のために父がモーニングを作ってくれたのですが、それを葬儀に着ることになってしまった」 父の弁護士事務所を継いだ。「いきなりの独立で、まだ『ひよこ』でした。先輩や周囲の方に支えられながら、少しずつ仕事を伸ばしました」。悩んでいる人と一緒に考え合う親身な姿勢、偏りのない公平さが信頼され、五十六年に静岡市顧問弁護士に。企業の依頼も着実に増えた。 平成四年、県弁護士会長に就任し、八年には日本弁護士連合会副会長にも就いた。県調停協会連合会長、県地方労働委員会長も務める。「先入観を持たずに、一歩引いて客観的にどうなのかと常に考えている。公正に、公平に、が信条です」 県事業評価監視委員会は静岡空港を対象にした審議を続ける。「あくまでも公平に、です。公平ということは県民の目で見るということです。県民の常識的な視点で判断します」 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |