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篠原興(はじめ)(昭34卒)。静高時代はコーラス活動の音楽部に所属した。声域が広かったことからバスを受け持ち、男声合唱を力強い低音で支えた。 文化祭で女生徒の協力を得て混声合唱を披露した。曲はハイドンの「天地創造」。各パートの独唱があり、一人で低音を響かせ、観客の視線を集めた。「緊張した。今でも演奏会でこの曲を聞くと心臓がどきどきする」 東大仏文科教授陣の著書に接し、自由な気風、リベラリズムにあこがれて同大に入学した。大学生になったら、読もうと思っていた同科出身の小林秀雄の著書「モオツアルト」を開いた。「世界のモーツァルトファンに誇れることができる素晴らしい本だった」。大きな感動とともに、悟った。「こういうものを書く人が行くところだとしたら、おれは無理だ」と国際関係論を選択した。 当時、東京銀行調査部長が国際金融を教えていたことがきっかけで、昭和四十年、同行に入り、平成八年、三菱銀行と合併するまで三十一年間、国際金融を中心に活躍した。「日本が着実に成長した時代。日本の経済と企業が国際化し、それと国際金融に特化した東京銀行が見事に補完し合った。手応えのある仕事だった」 この間、東京市場の国際化を狙い、金融先物取引所の設立や時価会計の導入など先進的な提言を続けた。「いかに使い勝手のいい東京市場にし、他国にいい形でお金を回せるのかを考えた」。国際金融センターの樹立を視野に入れた国際金融情報センターの設立にも加わった。 東京銀行を退職すると国際通貨研究所を発足させ、アジア通貨基金構想を練り上げた。平成十一年、請われて預金者の保護、金融信用を維持する預金保険機構理事に就いた。 中部銀、日債銀、長銀など金融機関の破たんが相次ぐ。約百八十件の破たん処理で預金者保護のために使われた税金は十兆円余り、国民一人当たり約八万円。「貴重な税金を使います。破たんの時は事実を明確に国民の皆さんに説明し、金融機関の出資者、経営陣、従業員、取引先にはきちんと責任を取っていただきます。のんべんだらりとはさせません」 若者たちに求める。「いい日本語に接してほしい。文化は言葉に集約されているから。それと国益を分析的に論理的に考えてもらいたい。情緒的にならずに」 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |