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奥村浩之(昭29卒)。十歳の誕生日間近の昭和二十年六月十九日夜、米軍爆撃機が静岡を空襲し、家の前は避難する人たちでごった返した。県の職員だった父親は呼び出しを受けて不在。「何とかするから待っていなさい」。母親は子どもたちを落ち着かせようと声を掛けたが、弟と幼稚園児の妹は人込みの中に消え、追いかけた母親の姿も見えなくなった。 逃げ惑う群衆の中で、三歳の妹を背にぼう然と立ち尽くしていた。男の人の大声で、われに返った。「そんな所にいると死ぬぞ。逃げろ」。賤機山まで必死に逃げた。夜が明け、女の人がみそ汁を分けてくれ、話し掛けた。「どこから来たの。おうちに帰ってごらん」。家は丸焼け。妹と二人きりになったのかと落胆したが、幸い一家全員無事だった。 「あの時、逃げろと声を掛けられていなかったら、家に戻るように言われなかったら、どうなったのだろうか」。今でも、二人の声のありがたさが身に染みている。 三十四年にアナウンサーとしてNHKに入り、徳島、東京、札幌、大阪、静岡、仙台の放送局に勤務し、「あなたのメロディー」「昼のプレゼント」などで活躍。東京・アナウンス部長、松江放送局長を歴任した。「声を出すことは肉体表現であり自己表現。体調が悪かったり、イライラしていたりすれば、声ですぐ分かる。声が相手にどのように届き、言葉がどのように理解されているか考える必要がある」 駆け出しのころ、ラジオで高校野球の実況中継をした。蝉(せみ)時雨の日だった。「ミンミン」は使い古されていると考え、ある詩にあった「シーシー」を使った途端、「蝉がおしっこをしているのか」などの電話が殺到した。「こなれた言葉でないと人の心はつかまえられない」と肝に銘じる。 平成五年から常葉学園短期大で「日本語の表現」などを教え、昨年、学長に。「世の中はパターン化しているが、言葉は自分で選び、考えてつかってほしい。話すためには他人の話を聞くことが大事。言葉は人間関係をつくる人類最大の機能。大切です」 高校時代は弁論部。大会で主張を訴え、繁華街で街頭演説をした。「人に自分の話を聞いてもらうことの難しさを痛感した。美辞麗句は心に響かない」 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |