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山川静夫(昭26卒)。戦後間もないころ、生徒たちは放課後、歩兵第三四連隊跡地の広い校庭で草野球を繰り広げた。物資が不足し、盛り上げた砂利や草がベースの代わりだった。松の木の二、三メートルほどの所に登り、声を張り上げた。「ボールカウント、ツースリー。打った。センターバック、センターバック」。当時、大人気だったラジオの野球中継にそっくりで、校内で評判になった。 「野球が大好きだったが、クラスで背が一番低くて試合になかなか出してもらえない。それならと、いつも聞いていた中継を見よう見まねでやってみようと思った。自分の言葉がプレーにどのくらいついていけるかと、楽しんで続けた」 国学院大に進み、歌舞伎に夢中になった。「初めて見た時の興奮がさめやらず、どっぷりとはまった。高校は野球、大学は歌舞伎三昧(ざんまい)」。短い時間の中で役者の動き、表情、装いなどを上手に伝えるラジオ中継にひかれた。「実況能力とともに作文力が要求される。声のトーンもいろいろ考えなければいけない。とても面白い仕事だと思った」 「劇場中継ならNHK」と進路を決めた。昭和三十一年、NHKに入り、青森、仙台、大阪勤務を経て、東京アナウンス室に。四十九年、紅白歌合戦の司会に抜てきされた。前任者は先輩の宮田輝。「宮田さんは蒸気機関車のようにぐいぐい引っ張った。僕はそうはいかない。それでみんなで肩を組み、連結電車でやろうと考えた。歌手の方々も協力してくれてスムーズにいった」。司会は九年間に及んだ。 科学番組「ウルトラアイ」も思い出深い。「酒を飲むと蚊にさされやすくなるのはなぜか、など体当たりで実験し、結果を発表した。理由は血液が蚊の飲みごろの温度に上がるから。あの番組で科学が生活に役立つ面白いものだとの認識が広がったと思う」 NHKを退職後、随筆家として活躍。三越劇場で「山川静夫名人劇場」も担当している。日本エッセイストクラブ賞などを受賞した。 「心が豊かになり、人間が大きくなると言葉も豊かになる。心を込めて一生懸命に話すことも大事」。繰り返しの大切さを強調する。「野球も練習を何回も何回も続けるとうまくなる。繰り返していると量が質に転じる。これはすべてに通じるはず」 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |