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石川暢子(昭37卒、日本ジュウリーデザイナー協会理事)。高校一、二年の時、郷土研究部に所属し、山間地で上級生、同級生らと民俗学調査に取り組んだ。結果は機関誌「郷のかをり」で発表した。「寺に泊まったり、キャンプをしたりして調査をしました。初めて知る風習なども多くて楽しかった。シイタケの育て方、スイカの接ぎ木の仕方も調べました」 二年途中から、美術教師だった大村政夫(日展参与、故人)が開放していた自宅アトリエに通い始めた。「デザインが好きで、芸大受験のため、入門しました。アトリエには芸大志望者が集まり、みんなで自主的にデッサンや受験課題の勉強を続けました」 批評を受けるため、仲間たちと作品を持って芸大に進学した先輩の元を訪ねた。「夜行列車で東京まで行きました。それぞれの作品を見せて表現方法の良しあしを指摘してもらい、かき方の指導を受けました」 東京芸大に進み、彫金を専攻した。研究の傍ら、依頼を受けて宝飾のデザインを手掛けた。「当時は宝石そのものに価値があるから余分なデザインはいらないという風潮でしたが、私はデザインが必要だと考えました。宝石をむき出しで身に着けると、与える印象が強すぎるので、いい趣味とは言われにくい。着けたら、美しい、いいセンスねと言われるようなデザインをしたかった」。彫金の技法を生かして作り上げた品格のある宝飾品は評判となった。 同大大学院彫金科を修了し、四十五年、工房を設立した。「宝飾をデザインしても、対応できる技術が市場になかった。デザインだけでなく自分たちで技術を持ち、考案した宝飾品を作り上げる必要がありました」 艶(つや)を消したプラチナと18金で竹をあしらい、べっ甲で作り上げた帯留めやかんざし、ピアノや古城をモチーフにして立体感を出したブローチ、藤(ふじ)の花に見立てた優雅なネックレスなどゆかしさにあふれた作品は注目を浴び、西ドイツ、オーストリア、イギリスなどの国際展への出品要請が相次ぎ、フランス、東京で開いた個展も反響を呼んだ。 「デザインは宝石と人をつなぐためのものと思っています。日本の伝統や暮らしを踏まえ、デザインをしています。日本のありように合った宝飾品は女性を美しく引き立たせます」 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |