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松本圭一朗(昭29卒)。漢文のリズムにひかれた。静高の担当教師は本告亮一。「小柄な先生が一生懸命、真剣に教えてくれた。教師とはこういう人かと感じ入った」 生物教師の片田武雄も忘れられない。片田は種なしスイカ、交配したアサガオなどの実例を挙げ、遺伝子の働きを生徒たちにかみ砕いて説明した。「興味深かった。高校の生物の授業が面白く、その影響で大学も職業も生物関係を選んだ」 東北大農学部水産学科に進み、水産物のタンパク質、アミノ酸などの研究に打ち込んだ。就職試験が迫った四年の秋、寮の仲間たちと外食し、集団赤痢にかかって二週間隔離された。その間に大手企業、公務員試験が終わり、困っていた時、魚の肝臓からビタミンAを抽出し肝油をつくる会社が焼津にできるから就職しないか―との誘いを受けた。昭和三十四年、焼津水産化学工業に入った。 入社当時、工場はなく、建物の建設からかかわった。従業員は五人。間もなく合成肝油が出回り、魚のエキスを抽出、精製した「だし」の製造販売に切り替えた。安宿に泊まり、売り込んだが、業績はなかなか伸びなかった。そんな時、ラーメン店を経営する中国人に「うまい、いける」と声を掛けられた。「奮起しました。それから売れ始めた。インスタント食品が出回った時期で、インスタントラーメンの需要が増加した」 社を挙げて、甲殻類、魚類に含まれるキチン、コラーゲン、コンドロイチンなどの機能性素材の研究に取り組んだ。キチンを使用し音の響きが素晴らしいスピーカー用コーン紙、化粧品、健康食品向けのコラーゲンなどのヒット商品を次々と生みだした。海中の微生物の中から見つけたパン酵母でスープ用の調味料も作った。 発想の源は一種のブレーンストーミング。「居酒屋に集まり、研究や製品についてみんなでワイワイと話し合う。意見を出し合っていると、ヒットにつながるさまざまな知恵が出てくる」 設立時、七百五十万円だった同社の資本金は現在、三十六億円を突破し、従業員も約二百人に成長した。二十七年間、社長を務め一昨年、会長に就任した。チャレンジ精神を大切にする。「何でも実験ですよ。他人と同じものを作っていても面白くない。実験していれば、面白いものができる」 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |