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第1章 卒業生の思い

(2003年7月10日掲載)
孤高貫き、独自画境開く
画家
 薮崎昭氏(74)

コンテの作品と薮崎昭氏=千葉県柏市内

 薮崎昭(昭20卒)。戦争末期の昭和二十年春、静中を卒業した。五年制だったが、戦争が激化し、四年で修了となった。戦後、父親が死亡し、家族を支えていた医者の兄が「公立なら美術学校へ行ってもいい」と声を掛けてくれた。子供のころからの絵画好き。奮起し、画家を目指した。

 狙ったのは東京芸術大。静中の繰り上げ卒業で受験に必要な学歴が一年足りず、静岡城内高三年に編入し、受験勉強を始めた。美術教師の大村政夫(日展参与、故人)に志を話すと、大村は「よし、あしたからやろう」とこたえた。石こうデッサンが始まった。

 大村は基礎をみっちりと教え、基本から外れた描き方は見逃さなかった。「デッサンを持って行くと、『細かいことを教えているのに、駄目だよ』と指摘を受けました」。県立高女の美術教師田中憲之の指導で日本画にも取り組み、二十五年、東京芸術大美術学部に入学した。静岡城内高初の東京芸術大入学だった。

 日本画を専攻。スランプにも陥ったが、乗り切り、女性を題材にした作品で実力を発揮した。静高に贈った「秋苑」はスランプ脱出後の作品。卒業制作の「女」は同大の買い上げとなった。卒業後は美術団体やグループに属さず、独自の画境を追究した。

 四十四年、油絵の個展を開いた。「日本画では、複雑で価値観が多様化している現代の姿を表現しにくかった。それで油絵を始めた」。個展の前、師事していた日本画家の山本丘人(文化勲章受章者)に作品を見せた。許してはくれないと思っていたが、山本は「油絵ですか、いいじゃない」とじっくりと目を通した。

 今、カラーのコンテで制作する。使い古したゴム長靴や手袋、ワーキングブーツを質感豊かに表した各作品からは、物に染み込んだ人々の生活感がひしひしと伝わる。ピエロなどをテーマに描いた作品には作者が大切にする真摯(しんし)な心が浮かび上がる。「コンテは色の輝きが素晴らしく、塗るほど深みが出る」

 一貫して団体には属さず、作品の発表も個展。「芸術は個人が思想を表現する個人の営み。団体に入れば、干渉を受けることになる。自分の表現をするためには、不利で苦しいが、この生き方を貫くしかない」

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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