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第1章 卒業生の思い

(2003年7月16日掲載)
「時代物」執筆にも意欲
作家
 若桜木虔氏(56)

精力的に執筆する若桜木虔氏=沼津市内

 若桜木虔(わかさき・けん)(昭40卒)。静高卓球部に所属し、一年から三年の夏まで、みっちりと部活動に打ち込んだ。当時、野球部が甲子園、バスケットボール、硬式庭球、重量挙げ、剣道の各部がインターハイで健闘するなど運動部の活躍が光った。

 既に小説家を目指し、授業中、ノートに小説をつづることもあった。「水滸伝など中国作品が好きで、中国を舞台にした伝奇小説を書いていた」。教師に見つかり、廊下に出された経験もある。

 三年の一学期、担任教師に志望大学を聞かれ、東大と答えた。成績が良くなかったため、担任はあきらめるように言ったが、「落ちるのは僕の勝手です」と受験し、合格した。「ヤマかけの名人なんです。ばっちり当たった」

 東大も卓球部。プロ作家志向の学生がそろっていたSF研究会にも所属した。「原書を訳して出版社に持ち込むような者が多かった。みんな英語はペラペラだった」。執筆に力を入れた。東大新聞主催の銀杏並木賞に応募し、候補にはなったが、落選した。その時の受賞者は直木賞作家となる藤原伊織だった。大学院に進み、修士号を取得した。

 博士課程二年のころ、雑誌などから原稿の依頼が相次ぐ。ジャンルはさまざま、しかもほとんどが締め切り間際のきつい内容だったが、多彩な作品を素早く書き上げ、「困った時の若桜木頼み」と言われるほど編集者の信頼を得た。「締め切りに間に合わない作家がいるとできる穴埋めの原稿依頼が多かった。何を頼まれても大丈夫なように、いろいろなストーリーを常に考えていた」

 卓球経験を生かした「白球を叩け!」が二十六万部を記録し、映画にもなった。「新人の原稿は読まないという出版社に日参し、何とか読んでもらった。すると面白いから出すということになった」。以降、ミステリーやノウハウ本、霧島那智の共同執筆名義の戦記作品などを精力的に執筆してきた。「週に一冊のペースで書いた」

 小説家に必要なのは体力と指摘する。「作家の世界では、体力があり、早く書き上げる人が生き延びる。一日に百五十枚、二百枚の原稿を書いたと聞いても七十歳代の作家は当たり前だと驚かない」。「機会があれば時代物を書きたい」。意欲にあふれる。

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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