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第1章 卒業生の思い

(2003年7月17日掲載)
「後悔せず」の精神強調
弁護士
 牧田静二氏(68)

野球というと熱くなる牧田静二氏=静岡市内

 牧田静二(昭28卒)。「一番野村、二番長谷川、三番森山、四番中尾」。二十三、二十四両年の夏の甲子園に出場したメンバーがすらすら口から出てくる。野球部の戦後第一次黄金期を築いた選手たちだ。「森山さんは小さな大投手、コントロールが抜群でマウンド度胸も抜群だった。中尾さんはがっしりした体格でまさにキャッチャータイプ」

 当時はまだ城内中の生徒だった。戦後、静岡城内高は歩兵第三四連隊の兵舎、跡地を校舎とグラウンドに使っていた。城内中も同じで、中学時代から、グラウンドで練習する高校野球部の姿を毎日のように目にした。

 二十五年、静岡城内高に入学した。草野球に熱中し、野球部の試合に声援を送った。翌年、野球部が春、夏連続で甲子園の土を踏んだ。「食料事情が悪く、物不足の時代。甲子園に応援に行くというのは夢のまた夢だったので、ラジオで実況放送を聞き、一生懸命応援した」

 中央大に進み、在学中、司法試験に合格した。二年間の司法修習生の課程を経て、三十四年に裁判官に任官し、熊本、福岡、岐阜、名古屋の裁判所に勤務した。家庭の事情で、四十四年、静岡に戻って県弁護士会に登録した。以降、行政や団体、民間企業の顧問弁護士も勤め、弁護士活動に力を入れる。静岡地方最低賃金審議会長も務めるなど活動の幅は広い。

 平成十年から静高野球部後援会の副会長を担う。会長は同期のタミヤ社長田宮俊作。「野球部が約十年間、甲子園に出場せず、巷(ちまた)で『静高の時代は終わった』とささやかれた。悔しくて、『よみがえれ静高野球部』『行こう甲子園』を合言葉に立ち上がった」

 翌年、高木、市川の好投手を擁した野球部は春、夏続けて甲子園への出場を果たした。春は十九年ぶり、夏は十二年ぶり、春、夏連続は三十九年ぶりという快挙だった。「久しぶりで母校の校歌を甲子園で歌うことができた」

 宮本武蔵の「独行道」にある「我事において後悔をせず」の精神を大切にする。「とにかく鍛錬し、後悔するようなことはするなです。野球も勉強もすべてに言えることです」

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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