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第2章 人物誌

(2003年7月22日掲載)
世界うならせた型絵染
染色工芸
 芹沢ケイ介氏

父の作品と芹沢長介氏=仙台市内

 昭和五十一年秋、パリの町中に藍染ポスター「風、Serizawa」が翻った。国立グラン・パレ美術館で開かれた染色工芸家、芹沢ケイ介(大2卒、故人)の個展はパリ市民の目を奪い、感動を与えた。

 フランスでの作品披露が念願だった芹沢の個展への思い入れはことのほか強かった。長男の芹沢長介(83)=東北福祉大学芹沢ケイ介美術工芸館長=は当時を振り返る。「父は展示場の五十分の一の模型を作り、その中に同じ割合で縮尺した作品を入れて会場の様子をイメージした。さらに、自宅の庭に展示場を実物大で再現し、作品を展示した」。個展を成功させるため、芹沢は周到な準備を欠かさなかった。

 日本の伝統と洗練された美的感覚が融合した数々の型絵染が展示され、世界をうならせた。長介は話す。「心筋梗塞(こうそく)で入院した時もグラン・パレ展までは死ねないと話していた。パレ展は父にとって最高の喜び。生涯で最高の時だった」

 芹沢は人生の転機ともなる経験を重ねた。三十歳代で工芸品の美を訴えた柳宗悦の「工芸の道」を読み、工芸の素晴らしさに感激した。間もなく、目にした紅型に感動し、生涯をかけて追究するテーマに選んだ。

 芹沢は静岡市本通の裕福な呉服商の二男。明治四十一年に静岡中学に入学した。卒業間近に家が焼け、親類を頼って東京高等工業学校(現東京工業大)に進んだ。卒業後、静岡工業試験場などに勤める。女性に手芸を教えていた二十歳代後半、染色への関心を急速に強めた。三十四歳の春、手描き蝋(ろう)染めの技法で制作した作品が国画会で入選するなど高い評価を受けた。三十九歳で東京に転居した。

 和服、帯地、のれん、びょうぶなど多彩な型絵染作品をつくり、六十一歳で重要無形文化財保持者に指定された。静岡中学で二年まで学んだ長介は「父はほとんど徹夜で仕事をして朝方から寝るので、登校時、父の顔を見たことはなかった」と話す。

 昭和五十六年、静岡市立芹沢ケイ介美術館が完成し、平成元年には「仙台に陳列館を造ってほしい」との遺志から東北福祉大学芹沢ケイ介美術工芸館も造られた。静岡市立芹沢ケイ介美術館学芸員白鳥誠一郎(34)は芹沢をこう評した。「模様、色彩感覚に希有(けう)な才能を持ち、それをフルに生かした多作な人」

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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