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大胆な筆致で描かれた真っ赤なバラ、その脇のソファの上には綿密に描写された本やクッション―。バラの力強さと日用品の持つ温かさが溶け合った油彩画は優しい包容力とエネルギーを醸しだす。 画家笹尾光彦(62)=昭34卒=のデビュー個展は平成十年。五十八歳の時だった。会場の東急文化村(東京都内)に「花のある風景」をテーマにした約百点を並べた。色彩豊かな作品は現代感覚にあふれ、女性ら来場者の目を奪った。以来、東急文化村での個展は恒例となり、「赤の画家」笹尾の名は瞬く間に広がった。 父は百貨店宣伝担当から日本画家に転身した笹尾好一。「絵を描く父の姿を見て育ち、自分の将来の仕事としては絵画かデザイン以外は考えたことはなかった」。静高、多摩美術大を経て大手印刷会社のデザイナーに。外資系広告代理店のクリエーティブディレクター、副社長を務めた後、画家を目指して独立した。 「かみさんが近所のごみ捨て場から古い額縁を拾ってきたので、十本ぐらいの赤いバラを描いたら、描きたいという気持ちが止まらなくなった。遅い目覚めでしたが、やりたかったことが一気に噴き出した」。四十歳代の一つの出来事が画家の道を選択させた。 美大入試のために静高時代、美術教師大村政夫のアトリエに通い、デッサンに励んだ。「正月の一、二日を除き、連日通った。そのときの経験が役立ち、ブランクがあっても絵をかけた。アトリエでの勉強は何物にも代え難いもの。十代の勉強は大事ですね。運動や文学、音楽も同じだと思う」 表現の場は絵だけでなく家具、小物などにも広がる。個展の準備も欠かせない。「ものすごく忙しい。自分でもよくエネルギーがあると思うくらい休みなく働いている」。デッサンに明け暮れた高校時代と似た生活だ。 同期の作家村松友〓(63)はこう評した。「まず最初に、誰もが、あの独特の“赤”に魅了されてしまう。エネルギーと安らぎの両方を与える笹尾作品のエキスだ。そこから作品に入り込むと、少年の心と大人びたセンス、したたかな技術、アーチストとしてのサービス精神などが見えてくる。それが笹尾ワールドの摩訶(まか)不思議なテイストですね」 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |