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「展示場所が『教会』と聞いたとき、すぐ『死』をテーマにしようと考えた」。現在、イタリアでの「第五十回ベネチア・ビエンナーレ」に合わせて、現地で個展を開催中のガラス造形作家増田洋美=昭36卒、旧姓本多=。色にこだわる作品が少ない中で、今回はカラフルな作品を展示した。女性の感性で空間を意識し、温かみのあるガラスで鎮魂の歌を奏でる。一昨年からベネチアに拠点を置き、ガラス工房で数カ月にわたり数百のオブジェの創作活動に励む。 三人姉妹の末っ子。横浜市生まれ。疎開で母親の実家がある静岡で育ち静高へ進む。「男の子を妙に意識してしまい、すごく気を使った」。美術部に入部し、美術教諭が開放した自宅のアトリエで放課後、学んだ。「先生に突然『美大に行かないか』と薦められた。受験勉強も面白くなかったので、絵を描いていればいいと思って選択した」 東京芸大に進学し、「唯一、気を使わなかった」という将来の夫となる恭孝と出会う。「芸術観が変わり、立体造形に目覚めた」。その後、結婚し、同大大学院鋳金科を卒業した。夫が親の会社を継ぎ、インドネシアに合弁会社を設立するため、家族で昭和四十六年から五年間、滞在する。 帰国後、「どうしても手に入れたかった」というアンティークのガラスの器を見つけた。「高いんです。一つ買って使って喜んでいたら、夫に『お前は工芸科を出たんだろう。自分でつくればいいじゃないか』と言われた」 夫に連れられ、池袋の百貨店のコミュニティー教室に通い始めた。「個展をやりたいだけだった。吹きガラスの技法を学んだ時に病みつきになった」。木彫や金属彫刻、油絵などを経て、たどりついたガラスは自分が表現する世界。三十九歳だった。 四十歳代から都内で個展をスタートさせたが、悲劇が待っていた。間もなく、夫をがんで亡くす。「主人によく『時間がほしい』と言っていたんです。それが、子供より手の掛かった夫が時間を残してくれて…。あの時の言葉にすごく後悔してます」 悲しみに打ちひしがれていた時、支えたのはガラスだった。「やらざるを得なかった。ベネチアでは興味がある人は立ち止まり、自信が持てた。今はアートしかない。素材との出合いは大切。私にとって、それはガラスだったんです」 八月四日、軽井沢に住居を移し、新たなスタートを切った。 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |