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「四年前を思い出した。この敗戦は来年につながる。三年生の分まで、来年は二年生が頑張って上位を目指してほしい」。今夏の全国高校野球選手権に出場した静高は、三回戦で涙をのんだ。全国ベスト16は四年前の夏と同じ成績。その年の原動力は、左のエース高木康成(平12卒)だった。 野球は吉田中央小三年の時に始め、吉田中三年の平成八年八月、県内で行われた全国中学選抜大会で初出場初優勝を飾った。このころからプロの道を意識し始めた。「甲子園に出場すれば、一番スカウトに見てもらえるチャンス。甲子園に行くため、伝統校を選んだ」 十年に秋季県大会を八年ぶりに制し、東海大会で準優勝。十九年ぶりの選抜を決めた。「それまで一人で頑張ってしまうところがあった。救われた試合も何度もあって、皆を信用しながらプレーすれば『野球は勝てる』ことを教えられた」 三十九年ぶりの春夏連続の甲子園出場を果たした十一年の夏の全国大会。一回戦で七連続を含む毎回の十七奪三振を記録し、一躍、全国の注目を集めた。二回戦も勝ち上がったが、「九回ワンアウトで2点差を追い付かれ、マウンドが揺れるほどの相手チームへの声援に驚いた」。三回戦は大会屈指の左腕対決と言われた桐生一(群馬)の正田樹(現日本ハム)と投げ合い3―4で敗れた。 同年の秋季国体でプロ入りを表明し、近鉄入り。高校時代は直球とカーブで三振の山を築いたが、入団当初は通用しなかった。「一年目は調子に乗っていた部分があった。ファームで全然奪えず、ようやく三振一個を取ったとき、『すごい世界だ』と実感した。自分を捨てて、一つでも多くの球種を増やそうと思った」 十三年九月二十九日に中継ぎで登板し、プロ初勝利。「初めての一軍は完全に気持ち負けし、自分らしさも全然出ていなかった。一軍で勝ったときの喜びは口では言い表せないほど」 昨季終盤から先発に定着し、三勝を上げた。九月には、本塁打王のカブレラ(西武)に真っ向う勝負を挑み、三振を奪った。「大きい目標は二けたですが、前年より勝ち星を増やし、少しずつ伸びていきたい」 野球人生で各チームにライバルがいた。高校時代は市川治由(同)。プロでは同期でチームメートの岩隈久志、宮本大輔。「目の前でライバルが成長しているのが分かる。かなり刺激された。同年代には、絶対負けたくない。チームでライバルを見つけて勝ってほしい」 入団四年目。背番号「33」が左肩の故障を乗り越え、早くマウンドに立つ日が待たれている。 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |